経験のある方も、ない方も
こればかりは感じ方や捉え方も
人それぞれなので
どのように思うかはわかりません。
ただ、下手にとってつけたような
訳のわからないポジティブな言動で
大打撃を受けている自らの気持ちを
説き伏せたり、ごまかすといった
いわゆる ”きれいごと” を
一切抜きで語るのなら
「終わった・・」
そうつぶやきたくなる場面に
生きているなかで1度や2度
遭遇したことは
どなたにもあるように思っています。
そう感じるほど絶望を覚え
思わず口から漏れた言葉と
言えるのかもしれません。
私自身、不可抗力の出来事に加え
何とかしようと動いたことが
さらに事態を悪い方向へ導くような
ハリケーンのような勢いで
それまで築いてきたものが
一気に吹き飛ばされ、また
流されるような思いをしたときに
その言葉を心の中で
また、耐えきれずに
言葉に出していたような気がします。
(神様に)
「待って、待って」
「それは困ります」
「NO」
と言う間もなく
ただ、「あ~れ~~~~っ」と
流されていく感覚は
今でもよく覚えています。
実は、不可抗力に見えても
そこには多分に
自らの潜在意識や意思も
関係していることは
後になってわかること。
その時には、途方に暮れるような思いで
すべてが断たれたような
気持ちになるんですね。
それまで抱えていたものや
大切に思っていたもの
自らの生きがいや志
慣れ親しんだ環境や人々
といった
”それまで築いたもの” にこだわる限り
「終わった」という感覚は
根強く残ったような気がします。
しばらくは浮上するのが困難なほど
打ちのめされ
立ち上がれない思いは残りますが
底をつくほどとことんまで沈みきると
自然に浮上していく
あるいは、せざるを得ないような
人生シーンが待っていたりします。
そこを無我夢中で泳ぎきってみたり
それまでの観念が
通用しなくなったことを自ら悟り
新たな視点を携え
歩み始めたときに初めて
「終わった」は決して
すべての終わりでなく
新しい次章のための
「始まりの序奏」だったことに
気づけるのかもしれません。
古い価値観や観念を抱えたままでは
乗り越えられない人生のステージを
迎えるにあたって
心身を整える
ある意味、荒行的な儀式のように
起こるべくして起きたと思えた時に
すべてに意味がある
人生には何一つ無駄なことがない
といった言葉が実感を込めて
口から吐けるほど
心底、腑に落とすことができた。
私自身はそのように感じています。
大切なものは
奪い去られた、あるいは
失われたように思えても
本当は何一つ
失っていないのでしょう。
人生は、本当に大切なもの
そして自らの意思があれば
どの瞬間からであっても
スタートを切れると
改めてお伝えしたいと思います。
決して「終わって」などいない。
好転やさらなる飛躍への起点とさえ、なり得る。
そう感じています。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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