どこでお会いしたかは定かではないのですが、ずっと昔、寒の戻りを体感するような春先のある日、歩いていた桜並木で桜の木を管理していらっしゃる樹木医さんにお目にかかったことがあります。
ちょっとした雑談で「桜は開花後に寒さにさらされると、花の色が濃くなる傾向があるんですよ」と教えてくださいました。もちろん桜の種類にもよるのでしょうし、地域や土壌にも左右されるであろう桜の花の色。それでも、さんざん冬の寒さに耐え忍んだ桜が最後の最後にもう一度ダメ押しの厳しさにさらされ必死に耐える健気な様子が伝わってくるような話で、急ぐ道すがらだったことも手伝いそれ以上詳しいことは聞かずとも印象深く残った言葉でした。
桜に限らず、冬の厳しい寒さに耐え、春先に芽吹き美しい花を咲かせる植物の逞しさや健気さに私たちは日々の暮らしのなかの随所で励まされていますね。
長い冬が過ぎ、いざ開花の時期を迎えると私たちの目に映るのはどうしても美しく、また妖艶に匂うとも匂わぬともその枝先に薄紅色の化粧を施したような桜の花弁の姿ばかりです。
けれども、その濃淡さまざまなピンクの色彩は根っこから枝先すみずみまでそれぞれの桜の木が厳しい冬の寒さを乗り越えて、それこそ全身のエネルギーを震わせて生み出した生命活動のわずか一部でしかないのです。
この様子は人でも同じなのではないかしら、と私は常々思っています。
桜の木が四季折々、また日々の生活のなかで激しい風雨や寒さ、またはおひさまの陽光にさらされ次の開花へ備え力を蓄えているように・・。
人もまた、それぞれが置かれた日常の中、さまざまなできごとと向き合いながら次にやってくる開花の時期につけるであろう花を、その色味の具合を兼ねて咲かせ生み出すためのエネルギーを全身に循環させているのではないでしょうか。
おそらく、色味は毎回異なることでしょう。そこまで経験したものが「今」の色として表れる。同じものが二つとないその人だけの、またそのタイミングだからこその花の色です。
生きている限り私たちは、わくわくするような楽しいことやうれしいことはもちろん、辛く苦しいこと、悲しいことも誰一人もれることなく経験します。
その人にしか出せない味わいのある色で花を咲かせることができるよう、良いことも悪いことも、またそこから生まれるさまざまな感情や考えのすべてがエネルギーに変換され、ただ「そのとき」が来るのを待ち、幹となる体の中を巡っている。そんな気がするのです。
他者から苦しみや辛さを伴う胸の内を伺うとき、私はそれらに耳を傾けながらも、同時にその切なさを越えた先にその人が咲かせるであろう花のことを想像しています。
今、この瞬間を経験しているその人にしかつけることができない色合いで咲かせる花。こうして苦しんでいらっしゃる間にもその生命の循環のなかで悲しみや苦しみさえエネルギーに変え、次なる開花のタイミングを待ち大切な栄養分として巡り続ける光を帯びた力を感じているといったほうが適切かもしれません。
ただ涙に暮れる日々も、のたうちまわるような苦悩の日々も、その時間があったからこそ咲くことができた美しい色彩を伴う花。
もがき苦しむ間にも脈々と内部では培われていた次なる開花への準備。一時も休まずに生命活動を続ける体のなかでは辛い環境から育まれた大切な要素が、今この瞬間も静かに全身を巡りながら次の開花のときを待っています。
そこで見られる花弁の色は、その人だからこそ生み出せたものなのでしょう。誰にもまねすることのできない、その人にしか生み出せない花とその色あい。
冷え込みが厳しい冬に耐え迎える2021年の春、さまざまなできごとを乗り越えてらした皆さんはそれぞれどんな美しい色で花を咲かせるのでしょうね。
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