昨日の記事に少し関連しますが、あるとき私にこんなことを言った方がいらっしゃいました。
「辛いです。もっと強かったらいいのに。他の人はこんな小さなことで悩みませんよね」。
私は心のなかでつぶやきます。「悩みの大きさ、深さ、種類は決して人と比較するものではないのでわかりませんが、いえいえ、私はもっともっとちっぽけなことでも余裕で悩みますし躓きます。もちろん! だって、人間ですもの・・」
どうしてか私たち人間という生き物は何においても隣にいる人、あるいは周りを見渡して自分と比べる癖があるようです。けれども、私の公式サイト内のご挨拶でも書かせていただきましたが一人一人、そしてその人生一つ一つもまるで違うのですから抱える悩みや今生で経験する学びのためのハードルも人それぞれ当然ながら異なるものと私は考えています。そもそも違うものを比べることに意味があるのかどうか・・。
悩みの淵にあるときは視野が狭くなり「どうして私だけがこんなに苦しいのだろう。他の人はあんなに幸せそうなのに」「どうして僕だけができないのだろう。他の人はあんなに上手にできるのに」といった具合に自分が舞台の中心になってしまう経験を私を含めた皆さん一度はされているのではないでしょうか。
そんなときほど、私は視線をあげて周りを眺めるようにしています。
世の中に悩みのない人など一人もなく、たとえ周囲にどのような姿に見えているのだとしても日々成長し続けているからこそ、それぞれが何かしらの人生の課題と向き合っていることに気付けると「私だけが」というある意味 ”独りよがりな感覚” が薄れていきます。
“私” が抱く感情は "周りの人"も皆、漏れなく持っているものなのですから。
「僕は悲しいけれど、あの人は悲しみなんてないんだろうな」「私は緊張するけれど、あの人は緊張などすることはないだろう」「僕は失敗ばかりするけど、あの人は成功経験ばかりで失敗なんて無縁なんだろうな」。
このようなことは決してありません。
その時のあなたの目には彼らがそのように映っただけなのかもしれません。あるいはその人たちはあなたが今、悩んで焦点をあてている分野についてはうまくいっていても、他の部分では何かうまくいかない悩みがあるのかもしれません。それこそ、比べるだけムダです。そもそも一人一人、違うんですから・・。
生まれ育った過程や経験してきたこと、あるいは出会ってきた人々などにより、ある一つの出来事に対して人それぞれが抱く思考(認知)は異なります。同じ経験をしても、起った事象についてそれぞれがどういう受け止め方をしているかによってそのあとの反応、あるいは行動が異なるだけなのです。ある人は天地がひっくり返るような反応をする一方、何もなかったかのように冷静に眺めることができる人もいる・・など外への表れ方が違うのでそこだけを見て比べてしまうのかもしれませんね。
厳しい環境の中に置かれ辛さや苦しさを感じているとき、どうか少しだけお顔を上げて周りを眺めてみていただきたいと思います。あなたがさまざまな思いを抱えながらもそれに耐え、なんとか目の前の困難を乗り越えようとしているのと同じようにあなたの隣の人も踏ん張っています。目に見える様子は異なるかもしれませんが、間違いなく何かしらの成長の種を抱え、次なるステージに向かうためにもがいているはずです。
歩いたり走っているコースは皆さんそれぞれ違っても、あるいはいずれ咲かせる花やその色味は違っても、あなたの隣にはあなたと同じように、時に立ち止まって休んだり、嫌になって不貞寝をしていたり、寒さに凍えたり、躓いたり・・。それでもしばらくしたらまた立ち上がって試行錯誤しながらも ”今あるその先へ" 向かって歩き走り続ける人々、凍えながらも全身を震わせてエネルギーを循環させ美しい色味を帯びた花を咲かせるために一時の厳しい寒さを耐え忍ぶ人々が大勢います。
大丈夫、今、苦しさに耐えているのは決してあなただけではないのですから。
深く呼吸をされたらぜひ、もう一度ご自身の周りをぐるっと見渡してみてください。
そう、もちろん私もあなたの隣を、時に寒さに縮み上がったり、転んだり、休んだりしながらそれでもなんとかその都度遭遇する人生の課題を乗り越えマイペースに歩き続けています。そして、いつでもあなたの力になりたいと思っています。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
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