街のどこからともなく聞こえてくる子どもたちの笑い声。
耳にするだけでほっとし、やさしい気持ちになるのは私だけではないかもしれませんね。
子どもの笑い声が響く地域は安全で健やかだとさえ思ってしまいますし、顔をくしゃくしゃにして素で笑い走りまわる様子を見ると、日常のありがたさを覚え幸せな気持ちになります。
長野に来たばかりの時分、心が不安定な母の感情が定まらず途方にくれていたときにある方から「よければ障害をもつ小さな子どもたちの施設を訪ねてみたら」と提案いただいたことがあります。その意図は、どのような姿であっても子どもたちはただ生まれてきたことを喜び、笑う。そんな姿を見て、あるいは触れて、何か感じることがあるかもしれないというものでした。
結局、その機会をつくることがないまま母は回復したのですが、お話を伺ってなるほどなぁと思いました。
本来でしたらこの世に生を受けただけでもありがたいことなのに、いつからか周りをみて他者との比較が始まり自分の体や心、あるいは置かれる環境など備わるものに違いを見つけては負の感情が芽生えるようになる。素直に笑っているだけではいられなくなるのかもしれません。
子どもの笑顔は何にも変えられない宝です。屈託なく心の底から「楽しい」「うれしい」と喜びや楽しさを表現するあの純粋さは周りにたちこめるあらゆる暗雲を払ってしまうほどの輝きと強さがあります。
ところが残念なことに、まだ世界には、そしてこの日本にも、住まう環境や境遇はじめ様々な事情や悩みを抱え心を晴らして笑うことが出来ない子どもたちが大勢いるのも事実です。
大人になるとある意味鈍感になって気づきにくいことも、子どもの繊細な心のセンサーはそれらをつぶさに捉え本人も無意識のうちにすべてを心に刻んでいます。そして、子どもたちの目や心が捉えていることほど、実はものごとの本質だったりもします。
「みんな違っていい」。
こんな意識を大人も子どもも当たり前にもてる世の中になるよう私たち大人にできることはどんなことでしょうか。どんな姿であろうと、備え持つものがどのようなものであろうとそのすべてを子どもたち本人が否定することなく「大切な私」として受け止められる空気をつくってあげることではないかと私は思います。
2021年が幕を開けたばかりの今、すべての子どもたちが持って生まれた尊い輝きをイキイキと放て、それぞれが備え持つ素晴らしい可能性の芽を育てていけるよう・・。子どもが心からの笑顔でいられる安全基地となる土壌を作っていきたいですね。
あなたの目の前にいらっしゃるお子さんがいつも笑顔でいられますように、そして彼らと繋がる世の中すべての子どもたちがずっと笑顔でいられますように・・・。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
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