昨日のブログではないですが
普段生活している日常を
もう一歩、奥へ踏み入り
整理してゆく
片付けの日々が続いています。
表面上や、生活範囲は
古いながらも
きれいにしていたと思っても
この長野の家で過ごした人々
また、訪れた人々の様々な軌跡を
改めて感じて眺める時間の中に
いるような気持ちです。
皆さん、おっしゃいますが
もう写真が出てきちゃうと
作業がそこで止まってしまいいけません。
タイムスリップして
過去にわざわざディープに
浸りに行ってしまうので
危険でしょうかね。
アナログの時代は
手に取って見える形で
様々な軌跡が残っていますからね。
私自身を眺めてみても
住まう場所を変えるたびに
一緒に、あるいは荷物だけ
送り先となっていた
長野の、この祖父母の家から
たくさんの懐かしい宝物と呼べる
時代、時代の足跡が出てきました。
家族や身内の学生時代
若かりし頃の姿や軌跡に
少し触れられるのも
そうない機会かもしれません。
私も友人たちと交わした手紙が
幼稚園、小学校、中学校
高校、大学・・・大人になる
この時間までの手紙
今回は特に幼少期のものが
まとまって発掘されて
驚いています。
手紙に関しては
あまりにも膨大過ぎたので
都心の一軒家を離れる際に
相当な量を
思い切って処分したと思いきや
まだまだ、大切に
納められた箱の中からはじめ
至る所から
無数に出てきます。
懐かしくて、懐かしくて
読みふけりたいも
その時間が
仕事の合間の作業では許されず
避けておいてはまたとっておく。
これを繰り返してしまうのでしょう。
父の学生時代
思い人に恋焦がれて綴られる
ノートの日記めいた手記などは
私自身が幼少期から
自らの日記帳に綴ってきた
毎回、よくもあれだけ
創造力豊かに毎日飽きずに
多様に書いた(描いた)ものだと驚くような
創作物語を発見すると同じく
大切なものに触れたようで
胸が、どこかほかほかします。
「一生懸命、生きていたんだよなぁ」
当たり前のことのように
思いがちですが
改めて、自分自身に対しても
また、家族や身内に留まらず
この世に生きるすべての人に対して
上記のセリフが漏れてしまう。
そんな気持ちになってきます。
その当時、どのような心内で
生きていたかはわかりません。
自分自身のことでも
感情をありありと思い出せることと
そうでもないことがあったりします。
それでも、その生きた証
膨大な軌跡の片鱗を目にした時に
自分自身を愛おしいと思わぬことは
ないのだろうな・・と感じています。
どんな姿でも
何をやっていても
いくつであっても
私たちはその時々に
自分が最善だと思うことに
力を尽くして生きています。
その軌跡を振り返って
ご自身を抱きしめたくなったのは
至極自然なことで
とても大切なことだと思うのです。
今日も、過去から続く今を生きる
ご自身を気恥ずかしくも
ここまでの軌跡を振り返りながら
「愛おしいな」と
心のどこかでほっこり感じながら
お過ごしになられますように。
◎写真1と3:カソリック系の幼稚園の夏休みの宿題帳は、子供にとって創作の宝庫でした。断捨離の発掘作業の中で見つけたある夏の1冊の宿題帳から2ページご紹介です。右下に何を描けばよいかわかるような小さな文字が綴られ、元々描かれた土台の絵に自分ならではの世界を足せるようになっています。1では『かみさま そらをありがとう』のページで右下の文字には「そらをとぶものをかいてみましょう」とあるのですが、どちらも似たり寄ったりの姿をした飛行機と鳥が描かれる傍らにUFOが2台。こまつまさこ、4歳の時の「空」の印象は、こんな感じだったようです。
◎写真2:このページは『かみさま やまをありがとう』のページで、右下には「みちややまにあるものをかいてみましょう」とあるのですが当時きっと読み聞かせをしてもらっていた「ウサギとカメ」の話が頭に残り、これを描いたのだろうなと思っています。どれも、その当時の自分の息づかいがしてきそうで吹き出しながら眺めていまいました。また、今後もこの宿題帳からブログの内容に関係したところでは描かれたページを使うかもしれません。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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