”あの人、専業主婦でしょ。
時間余るほどあるから当然・・”
これまで私が挑戦していた
ピアノコンクールで知り合った方が
素晴らしい賞をとった私の友人に向けて
ぼそっとつぶやいた言葉でした。
腹が立って、悔しくて
咄嗟に言い返そうとしましたが
一旦、思いとどめます。
件の友人は命に関わる病を抱え
たいへん辛い治療中でした。
再発が判り、精神的にも
心休まる瞬間などなかったはず。
そのうえ年齢は
私よりもっと上とあって
ご自分の家庭はもちろん
ご自身、そしてご主人のご両親様
4人の介護を主に一人で
定期的に通いながらなさっている
たいへんな毎日でした。
それでも、学童期以来
再開したピアノに触れることが
心の癒しであり
また、生きる救いとなり
わずかな時間を使い
真摯に自分の音楽と向き合った結果が
”生きている証に” と意を決して
参加したコンクールで受賞した
素晴らしい賞の数々だったわけです。
先述の言葉を放った方が
良いとか悪いとかは
いっさい関係ないと思います。
彼女の事情を知らないのは
むしろ当然であって
その方は思ったこと、感じたことを
口にしただけだったのですから。
私の友人はいつも明るく
輝くような笑顔をどんなときも
絶やさない女性です。
私だって彼女と繋がりがなく
あんな素敵な笑顔だけを見ていたら
きっと心にも、生活にも
すべてにゆとりがあって
優雅で素敵な人だなぁと
呑気な印象を
抱いてしまうかもしれません。
公式サイトの挨拶にも長々と
綴らせていただいていますが
どんな人にも
その表面に見える姿からだけでは
伺えないような人生の課題が
あるものです。
それを見せているか否か
あるいは見えているか否か
だけの違いであって
もれなく皆さん
過去から今この瞬間にいたるまで
何かしらの悩みを抱き
抱えきれぬ痛みをその身に刻み
それでも心を穏やかに
そして少しでも明るい方へ向かうべく
毎日を工夫していらっしゃるわけです。
”皆がそうだから” と
いって諭すわけではなく
私たちが感じる
大変なこと
辛いこと
悲しいこと
といった思いは
その感じ方や受け止め方は
人それぞれであっても
誰もが抱えているのだということ。
子供の頃から私が好きな絵本
「でんでんむしのかなしみ」(新見南吉)
ではないですが
少しだけそれが想像できるとき
一人ではないという思いと共に
他者の表面的な部分だけでなく
様々な面をも尊重できるように
なるのかもしれません。
夜泣きがやまずに途方に暮れる
乳児を抱えた若いお母さんの脇では
大事なアポで出かける間際に
入った自宅のトイレの壁や床に
知らずと散らされた便を
大絶叫しながら始末している
私がいる・・・。
どんな人も
それぞれにとって学びとなる
大小様々な人生の課題を
その胸に抱えて
毎日を過ごしています。
そう考えると目の前にいる
相手への思いも少しだけ変わり
どの人をみても心からのエールを
送りたくなるのかもしれませんね。
関連ブログ 「あなたの隣には・・」
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
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