子供の頃から「母の日」には
”お手伝い券” を作ったり
助けになるよう家事を多めにやってみたり
折り紙や和紙、画用紙を使って
カーネーションを折ったり、貼ったり
絵を描いたり・・
ただただ喜ぶ顔をみたくて
ささやかなプレゼントを買ったり
お菓子を作ったり
いろいろなことをやってみた気はするけれど
どこかまだ形からはいるところもあって
感謝の気持ちを添えたカードの言葉も
きれいな言葉ばかりが並んでいた気がします。
でも、当たり前だけれど親も歳をとり
これまで同じ速度で歩けた足が
亀のような慎重な歩き方でしか
歩行ができなくなっていたり
何かにつかまらなければ
立ち上がることもできず
一緒に食事に出かけても
口にするのは私の食す4分の1程度。
何気なく触った肩、腕や脚が細り
背中が猫のように丸くなって
ほんとうに小さくなってしまった母を
改めて実感するとき。
ほんとうに「母の日」の意味を切実に思います。
限られた時間のなかで
どうやってここまでの感謝をしたら
よいのかと思うと
これまでは平然と言えた聞えのよい言葉は
何一つ出てこなくて。
ただ、『ありがとうございます』というのが
精一杯なほど
その言葉で胸がいっぱいになります。
どうして、こう
ほんとうは当たり前じゃない
大切なものが傍にあるのは永遠でないことを
身をもって切実に感じるまで
心の底からの真の感謝が出ないものかと
わが身の身勝手さを思うのだけれど
何か特別なことをするよりも
今はただ横にいて一緒に笑っていたい
そんな母の日です。
そして、そんな思いを抱えて暮らす毎日が
私にとっては母の日なのかもしれません。
今ある姿に、今は亡き姿に
皆さんそれぞれの思いに
心を寄せる一日になるのでしょうね。
関連ブログ 「守る人がいるから」
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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