その昔、ヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんがテレビのバラエティ番組に出始めた頃、彼女を見ての第一印象は「ずいぶんずけずけと物をおっしゃる方だなぁ」でした。
かなりの毒舌でへたなコメントをするタレントを一刀両断する姿が潔かったりもして、好感度とともにハラハラする危なっかしい想いとの両方を抱えながら観ていたことをよく覚えています。
あるとき、物言いのキツイ彼女が何かの番組でご自身の家族について触れていらっしゃる機会があり、「なるほど・・」とすべてが合点がいったことがありました。
なぜ、あそこまで強さの盾を張っていらっしゃるのか。
幼少期から、障害のあるお姉様を周りのいじめっ子や心ない発言をする人々から守ってらっしゃったという件が語られたときに、僭越ながらも彼女の本質を垣間見た気がしました。
ヴァイオリニスト、あるいは音楽プロデューサーとして素晴らしいご活躍をされ、音楽や舞台を創りだす才能、あるいはある意味確立した個性的なキャラクターで発する言葉に対し多くのファンがいらっしゃる高嶋さん。
きっとそんな彼女のうわべとは裏腹、真の心根の優しさというものを、ファンの方々は彼女の奏でる音楽やお人柄、あるいは発する言葉のキツさの裏にある余白の部分などから感じ取っていらっしゃるのかもしれませんね。
守る存在がある人の優しさと強さ。
それらを痛いほどに感じた瞬間でした。
私には身近に身体の一部に不具合がある家族、また成人以降に経験した別の家族の心の病といった具合に、私本人ではないけれど身近な大切な人がさまざまな思いで苦しみ、また悲しむ姿を幼い頃からすぐ傍らで見つめてきた環境があります。
高嶋さん同様、地域のいじめっこたちを追い払いやっつけるために剣道の竹刀を振り回し追いかけたことなど今となっては懐かしい記憶でしょうか。
それぞれが自身の抱えるものを乗り越え、成熟した人間として今は世の人を救う立場になっていたり、完治が難しい病を克服したりと、おかげさまで人が生来備え持つ心の強さというものもすぐ傍らで一緒に感じさせてもらうことができました。
彼らの存在が身近にあったからこそ、気づかされたことや私の心内で幼少期から形成されてきたものごとの捉え方や、世の中を見つめる視点というものがあるのだと思います。
もし、こうした環境がなく育っていたら、もしかすると私は高慢ちきでとても嫌な人間になっていたのではないだろうかと思うことが子供の頃から何度かあります。
彼らの存在があったからこそ幼い時分より、様々な姿かたち、考えの人がこの世にはいて皆で共存していることをずっと意識して育つことができました。
また目の前にいる人の心の痛みを自身のことのように感じること、またそれらを推察することを今日に至るまでの成長過程において、まるで私自身の心の履修科目であるかのように経験し学ぶこともできました。
高嶋さんを拝見していても思いますが、誰か守る者がある人は本当に強いです。
そして、見た目や表に出しているものがどうあれ、ものすごく思慮深く、何より心底優しいです。
傍にいるのが障害を持たれる方に限ったことではありません。
私たちのすぐ身近の例では、お子さんを持つ「お母さん」。
お母さんは皆、とことん強くて、とことん優しいです。
自らが命がけでこの世に送り出した我が子を、世の中のあらゆるものから自身の身を挺して守る覚悟があるからなのでしょう。
そんな自分の身体を張ってまで守ろうとする存在があること。
私はどんなに嫌な人に出会っても、その人を命がけで守りたい方がこの世に存在すると思うだけでいっさい憎むことなどできなくなります。
誰かを守るとは手段はどうあれ愛そのものの表れであり、考えではなくもっと動物的な本能で動く部分なのでしょうね。
”守る存在があるからこそ、人はどこまでも強く、そして優しくなれる”。
ふと、そんな思いに駆られた彼岸明けです。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
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