昨日訪ねたレストランのテーブルにとてもかわいらしい花が飾られていました。
小さな花でしたが、だんだんに近づく春をそっと静かに感じられるような健気な姿にどことなくほっと心が緩みました。
「自分はわがままに生きたいんで」と少し頑なに大人になってからも子供のころに抱えた心の違和感や苦痛を覆い隠すように自堕落に振る舞っている方にお会いしたことがあります。
どれが本当の自分なのかわからなくなるくらい、ずっと抱えてきた苦しみや悲しさをごまかすためにその表面にたくさんのメッキを周りから探してきては貼り付けて・・・。
そんな装いの、いわばハリボテのような自分に疲れていることに気づかないうちは、まだ本人的には良かったのかもしれません。
話を重ねるなかで少しづつフタをしていた心の闇の部分に触れはじめ、目をそらしていた自分の真実と向き合うことになったとき。
真実の姿に触れ直視したその方を襲った衝撃は相当なものでした。
どれほどの大きな苦痛を伴ったことでしょう。
その方に限らず、私たちは皆、”明るい部分” と ”その陰になる暗い部分” の両方を持ち合わせて生きています。
生涯を通してずっときらきら光り続ける人は一人もいないはずです。
太陽にも真っ黒な黒点があって、それらを抱きかかえて輝いているように私たち人間も陰陽のどちらも抱き合わせて生きています。
自分の姿をありのままに眺めることはたいへん勇気のいることだと思います。
もしかしたら、その姿は自分が描いてきた理想のかたちではないかもしれない。
私を含め皆さんにも経験があるかと思いますが、何かがうまくいかずに落ち込み、至らないちっぽけな自分と向き合ったときのどうしようもない切なさや絶望感。
けれども、それらを感じているときの謙虚さも同時に思い出されるのではないでしょうか。
すべての成長はそこからだと思います。
たとえ直視したその真の姿が自分の望むものでなかったとしても、どこかから探してきて貼り付けた偽物とは比べ物にならないくらいずっとずっと尊い価値がある気がします。
本物とは、実は、一見小さくてみすぼらしいものなのかもしれないですね。
自分のなかにある陰も陽もしっかり眺めてありのままの真実を受け入れていく。
すべてはそこからがさらなる成長への始まりなのかもしれません。
テーブルに飾られていた件の白いお花は決して華やかではありませんでしたが、そのままに目にする人の心に寄り添うかのような輝きを放っていました。
しばらく時間が経っても、その小さな姿はなぜかいつまでも私の心にそっと咲き続けています。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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