昨日のブログ『嵐の後の庭から』
を綴っている終わり際に
ふと思い出したエピソード。
なくてもよさそうで
ないと違和感だらけ・・
について本日は綴ってみます。
人間の身体はどこまでも精巧に
造られており
身体にあるもので
意味のないもの
または
なくてよいものは
ないのだなと
強く実感した経験があります。
会社勤め時代に米国内の
大手放送局での研修を兼ね
米の各主要都市にて
取引先の企業との商談や
交渉、交流のため
長期出張をしていた時期があります。
支局のある主立った都市は
もれなく訪ねたのですが
その中の一つ
ニューヨークの滞在ホテルにて
うっかり大切なものを失い
その顔のまま
長い期間を過ごす羽目になりました。
昭和世代の皆様ならば
ご存知でしょうか。
子供の頃、お母さんの化粧台に
いくつも入っていたであろう
ピンク色のカミソリです。
今の時代には考えられないほど
切れ味鋭い刃であるにも関わらず
歯がカバーを外すとむき出しの
そう、あのカミソリです。
21世紀に入ったばかりの時期で
まだ、ああいうカミソリが
当たり前のように
流通していたのでしょう。
5番街にある名門ホテルでしたが
部屋には例のピンクカミソリが
常備されていました。
自分が持ってきていた
安全カミソリがあったはずなのに
たまたま目にしたそのカミソリを
懐かしさも相まって
出かける間際だった鏡に映る
自分の上半身姿を眺め
わざわざ触らなくてもよい
眉毛の下の気になった
ちょぼちょぼ毛を剃るために
用いてしまいます。
思えば、これが「やってもた」
の始まりでした。
日曜だったので、取引先の
ドイツ系米国人とその友人とで
仕事抜きのリラックスタイム
セントラルパークのカフェで
会う約束をしていました。
ほんのちょっと刃先を
眉下にあてたつもりだったのですが
あてた次の瞬間
鏡に映る自分の顔が
別人のように変わります。
なんか変っ!!!!!
ばさっと落ちたものを見て
事態を把握しました。
刃が長い例のピンクカミソリは
刃先に近い部位だけを
肌に当てたつもりが
垂直にあたっていた部分の
眉とまつげを一気にそぎ落としたのです。
左目の半分以上のまつ毛と眉が
ごっそりなくなりました。
たかだか半分程度
まったく問題ないじゃな~い
と思われたそこのあなた様。
いやいや、まつ毛、眉毛が
片目の半分ない顔は
自分でも驚くほど
全体から見ると
違和感大ありの顔になります。
なくてもよさそうで
ないと違和感とは
まさにこのことのようでした。
眉毛はペンシルで書き足すことで
しのげますが
今のようにエクステがある時代でない
当時はそぎ落としたまつ毛は
生えるのを待つしかありません。
元々、幼少期から今に至るまで
マスカラを用いる必要がないほど
まつ毛が長かったので
その違和感っぷりは
さらに半端なかったわけです。
怖いのかユーモラスなのか
剃れるものは剃り落とした
中途半端なやくざのような顔になり
そのまま、掌で左目を覆いながら
待ち合わせ場所へ出向きました。
どうしたのか訊ねられ
いやいや何でもないというも
わざとらしい。
事情を話し
ええいっと手を外すと
「プフっ、大丈夫だよ。
気にしない、気にしない」
と声がかかるも
話をしながら私の顔を眺めるたびに
意味ありの笑みがこぼれます。
このやりとりは、その後しばらく
誰と会っても続き
皆様には、私の顔を眺めれば
微笑みがもれる時間を提供できたと
思えばそうなのかもしれません。
実際には
まつ毛が再生するまで
待つしかなく
機能的にもゴミや埃が
わずか半分の隙間から
目に飛び込みやすく
とても心地悪かったことも
よく覚えています。
私たちの身体に備わるものは
どのような小さな部位であっても
なくてもよさそうで
本当になくてもよいものは
ないのだなと
身をもって体感したのでした。
好奇心や、ついついも、ほどほどに。
身に備わるものは
うっかり無くさぬよう
大切にしましょうね。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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