世に言う断捨離。
皆さんのお宅でも
定期的に、小まめに
なさっていらっしゃるのでしょうね。
ご自身の住まう場、家庭での
断捨離はもちろん
ご自身の育った
お家(ご実家)の物に至るまで
皆さん、どうなさっていらっしゃるのでしょう。
お恥ずかしい話ですが
現在住まう長野の家には
屋敷自体が中途半端に古く
既に80年近く
そして、父の生まれ育った家とあって
父のきょうだいのものを含めた
何世代にも渡る物たちが
家屋をはじめ
敷地内のまだあちこちに
残っていたりします。
現在の住人3名それぞれが
日々、好き勝手なことを
やっていた、いるとあって
一斉に片付けや
処分を伴う清掃を行うことが
適いませんでした。
いや、ウソです。
やる気がなかったのです。
少なくとも私個人は
やり始めると収拾がつかず
すべてが中途半端になるので
目に付くところは
小まめにやっていたつもりでしたが
大元の片付け
いわゆる断捨離は
”いつか”
と言っている間に
あっという間に長野に来て
14年近くが
経ってしまいました。
取っておく場所が
いくらでもある大きな屋敷は
国内外あちこちで
暮らした一家にとって
最終的に物を取っておく
格好の場所だった
と言えるかもしれません。
祖父母やその上の世代
父のきょうだいたちに
まつわる物たちに加え
父の家族(私を含む)が
それぞれに、その時代ごとに
一人暮らしをした時の物はもちろん
都内は一軒家の
虎ノ門の家の物まで
長野の家へ送られ
押し入れに眠っていたりします。
ある箱を開けたら
千葉で過ごした時期の
ミッション系幼稚園時代に用いた
裏面には父の字で
住所や父の勤務先
子供の血液型
表には母の字で
平仮名で「こまつまさこ」
と記された
お花の形をした
名前バッジが入っていました。
同じ箱には
長野の祖母が旅行で買ってきた
お土産の偽物コンパクトなど
も入っています。
子供心に
自分が欲しいと思う物と
買ってくる人の思いとは
常に異なってしまうもので
初めて思いに叶った
お土産だったことは
なんとなく思い出せました。
本当に小さな時分
昭和50年代初頭のお話です。
まだ、片付けは
始まったばかりですが
既に物の多さに辟易しており
毎日絶えず仕事のご依頼で
来客が必ずあり
その多くは朝~晩まで
連投といった状況の中
わずかな隙間時間を使って
最終的に片付け終わるのは
いつになるのだろうと
途方に暮れてもいます。
ただ、断捨離をするなかで
自分の生きた軌跡の証
あるいは家族をはじめ
繋がる人々と過ごした証
もっと言うなれば
私がそこに存在した証
とでも申しましょうか。
物を通して当時の思いが
今でも新鮮に蘇るほど
心に息づいていることに気づき
時を経ても
それが大事だと感じる物や
過去に出逢う時間には
感謝をしています。
それにしても、いろいろな物が
発掘されています。
時にぽかぽか温かくなったり
微笑んだり
吹き出したりしながら
己のユニークさだったり
感受性に触れつつも
物体は処分しても
心に刻んで残しておくもの
実際にとっておくもの
を選り分ける毎日でしょうか。
◎写真は、発掘された小学校時代の玉手箱より一品。おそらく、以前、ブログでも紹介したフエルトの手芸よりもずっと前の時分でしょうか。自らが作成した手縫いのステッチの手提げ袋です。手縫いのステッチはもちろん、フエルトの付け方も何とも雑で、雑で・・。思い切り、初めて感を覚えますが、何より感心したのはつけた模様の独特さ。フエルトで作る模様を縫い付けているところにも感心しましたが、その主役に子供にはいつの世でも人気の犬や猫、あるいはゾウさんといったものでなく、なぜか「カバ」さんを選んで作っているところに我ながら乾杯です!🍻 いいぞっ、こまつまさこ!!!
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小松万佐子から皆様へのメッセージ