日々、懸命に
ご自身の目の前にあることと
向き合い、取り組んでいたことも手伝い
さほど身体や心に違和感や
痛みを覚えずにいたのに
ある日突然、症状が現れたり
身体や心が動かなくなってしまった。
当ルームでみさせていただく
大変多いケースです。
何かしらの身体症状
不具合や機能障害
あるいは疾患を発症
身体が思うように動かさせない
心がマヒしたような状態で
何もやる気がわかなくなった・・
訴えられる症状は様々ですが
日々、医療や代替医療の力と連携して
緩和、あるいは緩解に向けて
ご本人が備え持つ治癒力や回復力そのものを
サポートすることに
努めさせていただいております。
身体や心に症状が出ることは
これまでの日常に
大いに支障が出ることでもあるので
間違っても歓迎すべきこととは
言えないのかもしれません。
けれども、起きたことを受け入れ
時間をかけて
ご自身を眺められるようになっていらっしゃると
セッションでの対話を通して
自らを冷静に振り返ることが
できるようになってきます。
頭で理解してわかったことを言うのではなく
きちんと腑落ちするというレベルを意味します。
回復への道程で自らが気づくこと。
それこそが今後の人生を
いっそうご自身らしく輝くために
何よりも大切なことになると思います。
気づきにも様々な類があり
毎日、多くの気づきを
一緒に感じせていただいておりますが
中でも多いのが、”他者の力を借りる”
ということについて。
なんでも自分自身が把握していたくて
すべてを一人であえて抱え込む
他者に助けてと言いにくくて
結局自分一人でやるしかない
力を借りれば他者にああだこうだ
言われてしんどいし
力がないと思われてしまう
まずは自分でやってみることが大切で
他者に聞いたりお願いすることは
控える”べきだ”
誰かに頼むくらいなら
一人でやってしまったほうが
大変だけれど気が楽・・などなど
理由はお一人お一人異なりますが
歪んだ思い込みだったり
その通りなのだけれども
感じて行動する場面がズレていたり
これまでの経験からくる
恐れや不安だったり
元々の性分だったり
お持ちの気質によるものだったり
・・・いろいろです。
見極めは大変
慎重にさせていただいていますが
要は、他者の力を借りることが
できなかったことに尽きます。
依存することと力を貸してもらうことは
似てはいますがまったく別物。
力がないことと他者の力を借りることも
イコールでは決してありません。
お願いする心の在り方や
伝え方によっても
ニュアンスは大いに
変わってくることでしょう。
誰かに「力を貸してほしい」と
自らが身体や心の限界を期せずに知って
初めて口に出せることもあります。
実際に日常の中の場面で
「ここを手伝ってもらえたらうれしい」と
言い出せた方々がその身に実感され
刻まれたことこそが
大切なのだとも思っています。
力を貸してほしいといえることは
むしろ強さでもあります。
己の現状、時に
その瞬間の限界を知り
また、その場の物事全体の状況を
眺めるからこそ
今何が必要かを的確に選択することが
できるという力です。
一人でできることも
もちろん素晴らしいことです。
けれども心や身体のどこかに
一人で抱え込むことで
違和感をうっすら感じていらっしゃるなら
大事に至る前に気づくことも大切です。
当初は認めたくなかったけれども
痛みを覚えたからこそ
立ち止まって身をもって刻んだ
後々の人生において大事なことも
あるのだということ。
私自身を振り返っても
そうした気づきこそ
大きな大きな目には見えない財産であることを
改めて実感しています。
◎単体でいただくサンドイッチも好きですが、やはりいろいろな具材を挟んでいただくサンドイッチのハーモニー感にはかないません。それぞれの持ち味を生かして奏でる好さは、この世のあらゆる場面で感じられます。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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