先日、訪問で訪ねた先のすぐ近くを
早くに到着したこともあって
周辺を少し散策した際に見つけた
ユリに似た花。
沢沿いの草むらの中で
ひっそりと咲いていました。
寂しそうにも
のびのび咲いているようにも
どのようにも見えます。
私たち人間も
お相手がどんな人かわからずに
勝手に様々な思いを
巡らしてしまうことが
あったりします。
その相手がご自身にとって
どのような存在であるかに
拠るところもあるでしょう。
人それぞれに心地よいと感じる
他者との距離感というものがあり
パーソナルスペースの
狭い、広いも
これは何がよいも悪いもなく
個々の感覚によるものです。
ご自身にとって
どのくらいのスペースが
他者との間で保たれていると
お気持ちが楽でいらっしゃれるのか。
知っておくことも
大切なのかもしれません。
「寂しそう」
あるいは
「心が常に観音開きで近い」
他者の目にはどう映ろうとも
個々人の心地よさというものは
それぞれなのだと頭の片隅に入れ
それでも互いを知らなければ
思い込みだけでは空回りとあって
先述のように
相手がどのような存在で
互いの関係をどうしたいのか
にも拠るかと思いますが
対話や観察を通して
相手を少しずつ知り
お互いにとっての心地よさを
時間をかけて探していくことも
とても大切なのだと思います。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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