家という自分のベースとなる場所に限らず
長くお世話になったり
多くの時間やエネルギーを費やした場所
あるいは、心を通わせた人々がいる場所も
どこかのタイミングで再訪すると
自分自身が成長してきた途中過程の
ある時期や時間を振り返り
当時の自分を覗き見するような
くすっぐたい気持ちになってきます。
先日、そんな変わらないままの場所を訪ね
心からの安心を覚え
そこでずっと私を気にかけ
エールを送り続けていてくださった方々が
あることを確認する機会がありました。
すべてのご縁とずっと連絡を取り合い
繋がっていることが
できればよいでしょうけれど
住まうところをはじめ
身を置く環境(国、エリア、所属する組織や地域)や
ライフスタイルが
変わっていくのも世の常、人の常。
そうもいかない時もあるのだと思います。
ご無沙汰をし過ぎていた気はしましたが
最後に訪ねた時が
望むか望まぬか周囲から始まり起こる
人生の苦行の時期の
はしりとなっていたこともあって
自分の中では様々な思い
また対処しなくてはならない
いろいろなことを抱えており
その部分はもちろん
そこからの顛末すべてを説明するのも
どこか苦しい・・・。
そんな理由で足遠くなった場所でした。
私にとっては、家と同じくらい
心がほっとし、要らぬ力を抜け
そのままの自分をさらけ出せる
大切な場所でもあったわけです。
15年ぶりくらいに訪ねたその場所は
変わらぬ大好きだった人の笑顔があって
お歳を召されたことはあっても
物言いも、所作も
何一つ変わらない当時のまま。
店内も当時のまま変わりない
そんな場所で限られた時間の
わずかひとときではありましたが
思い出話や互いの近況を
語りあうことができました。
別れ際に握手した手を
涙を流しながら握りしめたまま
一向に離さずに
いらっしゃるその方が
距離は離れていても
心や頭のどこかで常々
「今は、どこで、どうしているのかしら」
「あの最後のときに何か声かけして
楽な気持ちにして差し上げることは
できなかったのかしら」。
そう思い続けてくださったということが
何よりうれしく
またありがたく感じられました。
何かのご縁あって出逢った方々が
どこかで自分のことを想い
その心を遣ってくださっている。
そして、そこは自ら訪ねていけば
その当時と変わらぬ姿や気配を漂わせ
しばしノスタルジックな気分と共に
成長した自分を感じさせてくれる。
そんな心の拠り所を
また一つ再確認した気がして
とても幸せな気持ちになると同時に
改めて人との繋がりと
見えても見えなくても
どこかで自分を支えてくださる
人々とその心のありがたさに
深く感謝をしたくなるのでした。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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