寒い、暑いといった
日常的に感じる
あらゆる身体の感覚は
私たちにとって
なくてはならないもの。
痛みも、まさに身体の感覚の
代表的なものかもしれません。
この身体感覚は、それこそ
人の数だけ感じ方があって
ある人にはそうでもないことが
ある人には猛烈に感じられたり
個体差があるものだということは
私たちは頭でよくわかっています。
子供が転んで痛いといって
泣いている際に
「痛くはないでしょ?」
と言い聞かせたところで
転んでいる子供にとっては
痛いものは痛いわけで
その真偽を問いただしたり
相手の訴えを打ち消そうとしたところで
意味はありません。
自分や他者が、”痛い” と
感じていることを
まずは一旦
受け止めることが大切。
これを私たちは頭では
理解しているのです。
けれども、実際に日々を振り返ると
意外とわかっているようで
わかっていないシーンが多いこと。
私自身を振り返っても
過去にそういうことがあったので
よくわかるような気がします。
例えば、他者のシーンで言うなら
老いた母が
膝が痛い、腰が痛い・・・
といった具合に
どこかしらが痛むと
一緒に通っていたヨガクラスで
毎度毎度、先生に
口にしているのを見て
「言っても仕方ないことを
いつまで同じ事言ってんの?」
と心の内で苛立ったことは
かつてよくありました。
「あぁ、そうなのね。
痛いんだよね・・・」
「じゃあ、痛みを感じない方法で
やってみようか」
「この体操は休んでもいいのかもね」
などなど
そんな受け止め方も
あったのだと思います。
痛みを訴えることをスルー
あるいは否定するほどに
受け止めてもらえなかった
母の痛みへの訴えは大きくなり
エンドレスだったことも
よく覚えています。
※私の母のケースでは訴える身体の各部位の痛みに
心の痛みが重なっていたことも付記しておきます。
これは他者に限らず
自分自身が感じる痛みについても
スルーしたり
そうでないと言い聞かせたり
したことがあったと記憶しているので
その結果
どのようなことが起きたかも
顛末をよく覚えています。
痛み(身体感覚)を覚える
ということは
何かしらのサインを発し
私たちの身体を守ろうとしている
まさに、自己防衛のための
自然な生体反応の表われです。
”今の状況が自分の身体に
どのような意味を持つか”
ということを教えてくれ
危険な状況に対しての
予防や対処法をとることができる。
それが、身体感覚なのかもしれません。
この身体感覚が、日々
どれだけ私たちの身体を
守ってくれていることか。
そんなことを意識して
皆さんがそれぞれご自身の身体に
日頃、どのような身体感覚を
覚えているのかを
感じながら
観察してみていただけると
よいかと思います。
ごろんと横になって
ただ感じる身体の感覚を
自ら実況中継しながら
味わい尽くしてみる。
時に、身体感覚を訊ねると
頭で考え、分析した内容が
返ってくる方々もあるのですが
普段から頭を使い過ぎていると
純粋な身体の感覚を
感じにくくなることもあります。
これは、私も経験があるので
ものすごくよくわかります。
ある意味、身体感覚を感じる力が
過労やストレスなど
何かしらの理由で
麻痺しかかっているのですね。
冷たい、熱い、痛い、痒い・・
ご自身の身体をそのまま感じること
そして、一旦、受け止めること。
実は、とても大切なことなのかもしれません。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ