これは私にとって
これまでいただいた
どのお題よりも
答えにくいものでした。
当時、自分が抱えた
人としての弱さと
向き合わなくて
ならないからかもしれません。
誤解や反感を恐れずに
当時の未熟な私の思いとして
ありのままを綴ってみます。
昔から私の中に
カウンセラーという選択はなく
他者に寄り添い
その心身の回復を目指す職業は
医師だと思いこんでいました。
アルコールの匂いがする
開業医であった
都心の母方の縁戚に
幼い頃から出入りし
長く生活したことも関係が
あるかもしれません。
高校時代は進学校に
あぐらをかき
スポーツや仲間との活動に
全力で注力し
ろくすっぽ勉強など
していませんでした。
けれども大学進学以降の
進路希望の選択肢は
ジャーナリストか医師。
在籍した高校では
各クラスの半分近くが
医師を目指すという環境も
大きかったかもしれません。
時代が東欧革命の最中とあって
NHKのあるドキュメンタリー番組に
打ち震えるほどの感動を覚え
前者を目指す方向へ
人生の舵をとることに。
あらゆる希有な経験を
自分の思うように
自由にやらせて頂いた
会社勤め時代から
母の心の病は始まっており
常にどこか頭の中に
そのことがある状態でした。
腎移植専門の弟をはじめ
周りに医師の存在が多くありながら
身内で母を真剣に思い
常にその心に
親身に寄り添う存在は
大変お恥ずかしながら
当時の自分の仕事だけに
必死になる私を含め
誰一人いませんでした。
職場である程度経験を積み
これから自分の人生を
さらにどのように発展させたいか
改めて考える年頃になった際に
なぜか突然、想定外に
転職という
高校生以来の選択肢が
頭に思い浮かびます。
やはり、どこかに母の影が
あったのでしょうか。
当時の母はただただ
投薬を主とする療法で
生きているのか死んでいるのか
わからぬほど
ただ息をして
療養という名の生活を
静かに送っている状態でした。
40歳という大きな節目が
視野に入り始める年齢でしたが
大学へ戻り
医学の勉強を試みる選択をします。
学びの最中で母の病どころか
実家の財政基盤を揺るがすような
辛辣なできごとまでが
身辺に勃発し始めていました。
私は学問を途中で投げだし
母が療養する長野へ
1ヶ月程度のサポートを想定し
また自分自身のリセットを兼ね
足を運びます。
そこで目の当たりにした
様々な現状に
己の身勝手さや未熟さを
突きつけられるのでした。
一方、母の容態を任せる
精神科医には
大変失礼な態度をとり
病院に赴けば
こちらから突っかかって
ケンカばかりするので
私自身の家族からさえ疎まれる始末。
今思えば、医師は医師としての
本業を全うしていただけで
そこに勝手に私が
理想の医師像を重ね
不満を抱いていただけでした。
志半ばのまま
日々、母と向き合う生活が
気づけば当初の1ヶ月は
やがて一年となり
数年となって
歳月だけがただ過ぎていく。
かつての同僚や先輩はじめ
一緒に学んだ仲間からさえ
今後の人生を心配される状況でした。
かつての職場の同僚で
ご主人が精神科医をなさる方があり
想定外の出来事が勃発したとはいえ
中途半端なまま
人生にぶらさがっている私に
医師という職業でなくても
人の心を救う仕事はたくさんあると
話をしてくれたことがあります。
けれども、問題は私の思考でした。
偏った思考で傲慢ささえ抱えた
当時の私は
「いやいや、そこ(心理学)は
私のいくところではないから。
勘弁してよ・・・」
と他人事のように
突っぱねていたわけです。
そんな私の目を
覚ましてくれたのが
かつて一緒に志を胸に
学んだ仲間の一人でした。
「まさこさんは私を含め
いつも誰かの生きる力に
再び息吹を与えてくれる
不思議な力をもっています」
「そして、それは職業に関係なく
これまでも、そして今この場でも
常に発揮されているんです」
「私自身がどん底にあったとき
どれだけまさこさんに
救われたことか・・」
「その特異な力を
何かにこだわって
世の中のために使わずいることが
私は悔しくて仕方ありません」
そういって、電話口の向こうで
私のために号泣する友の言葉に
目が覚めたのでした。
母一人再生させられず
やけになっていた私に
まるで光の雫のように
染み入る言葉でした。
この友人からの推薦 推薦のお言葉
そこから、初めて
これまで考えたこともなかった
心理学の勉強を始めると共に
自分自身の心のあり方を
再度厳しく見つめ直す
修行のような期間に入ります。
私がカウンセラーになると決めた日。
それは私自身の中にある
偏った思考であったり
私自身の心のあり方を
本気で改めていこうと決めた
タイミングでもありました。
形や知識ではなく "こころ”。
なぜ、あのタイミングで
様々な困難が私や家族に
降りかかったのかも
今ならはっきり理解できます。
今、カウンセラーとして
お仕事をさせていただき
クライエント様と向き合う際に
学んだ知識はもちろん
経験してきたことに
何一つ不要なことがないと
改めて気づかされます。
そのすべてがあるからこそ
「私」という
独特なカウンセラーの存在があり
今日も誰かの
人生の伴走者となれている。
実は、これが母の担当医に
行く度にぶつけていた
私の理想の医師像そのものに
近いということに
今更ながら気づかされています。
当時の私には
思いもよらぬ大きな気づきです。。。
【2021年11月のお題-2】「あなたが心理カウンセラーになると決めた日のことを教えて下さい」(くれたけ#167)
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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