シリーズ ≪まさこの部屋≫ 第2回目は故人の登場です。
お会いしたころは、まだ現役で日本婦人団体連合会会長を務めていらっしゃった明治生まれの女性、櫛田ふきさん。当時98歳でいらっしゃいました。
知人の紹介でふきさんのお誕生日会へ招かれたことが出会いのきっかけでした。
それから2001年に、102歳の少し手前でお亡くなりになるまで、主に都内は西荻窪の駅前にあった「こけし屋」というふきさんが愛用されていた昔ながらのフランス料理(別館は洋食)のレストランでトークショーやおしゃべり会、あるいは個人的にお茶をご一緒するなど、毎度ふきさんから丁重なるお誘いの手紙を頂戴しては伺うお付き合いが続きました。
戦後、婦人民主クラブを結成し女性の社会参加と平和を求める運動にながく携わってらしたふきさん。平塚らいてうを尊敬するという元祖スーパーウーマンでいらっしゃいました。
モットーは「心に太陽を、唇に歌を・・」。
検索をかけたりしますと、「女性運動、民主運動家」などと堅苦しい紹介がついていますが平たく言えば、20世紀をそっくりそのまま丸ごと生きたご本人の生涯で痛感されてらした “戦争はダメだよ” 、"働く女性の力になる"、“子ども、そして彼らの目線を大切に” を主軸に、ご自身にできる活動を人との出会いの中で生まれ培われた場所でされてらした方、という印象が強かったです。
活動の基盤になる信念はすべて、ご自身が身をもって経験された胸の痛み、心のつぶやきや叫びを周囲にいらっしゃる他のお母さん方や女性たちに投げかけ彼女らと一緒になって活動を起こしていらっしゃるという印象でした。
当時、私はまだ20代の学生あがりの若者でした。それでもふきさんはなぜかたいそうかわいがってくださって、お会いするたびに帰り際になると、まるで幼な子にそうするかのようにまじまじと私の顔を覗き込み、積み重ねてらした年齢を実感するやさしい両てのひらで私の頬を何度も包み込むように撫でてくださったものです。
ふきさんは不思議な女性でした。
なにより、年齢をいっさい感じさせない若々しさがありました。イキイキと社会の中で求められ現役で活動していらっしゃることももちろんあったでしょう。ですが、一番は内側から発せられる輝きでしょうか。
口もとにはいつお会いしても心の余裕を感じさせる笑みがあり、瞳はいつも少女のようにきらきら輝いていらっしゃいました。なんといっても、表情の豊かなこと・・。
もちろん、お目にかかっていたのがふきさん98歳からの時分ですから、肌にはしわも、シミも一生懸命生きてらした分刻まれていらっしゃいました。けれども、それらを「美しいなぁ」と思わせるほどの何かが彼女にはありました。
女性の社会参加と子どもたちが安心できる平和な世界を目標とし、厳しい時代を乗り越え生き抜かれた強さ、そして時代の変わり目をその都度経験されそこで悩み苦しみながらもどこかに光を見出し前進するしなやかさ、そしてそれでもやっぱり人はすばらしいと言える寛容で大きな心など。そのすべてが、一本一本のしわに刻まれている。そんな気がしたものです。
年配の女性に刻まれたしわが美しいと感じたのはこのときが初めてだったかもしれません。
お目にかかった晩年は耳がかなり遠くなってらしたこともありますが、私の話をいつも目をしっかりと見つめ一言一言を頷きながら丁寧に言葉を聴き取ってくださる姿も印象的でした。また、ふきさんにはスーパーウーマンにありがちな気負いというものがいっさい感じられなかったことも特筆すべきことでしょう。
「わたしはいつも背伸びをしてばかりだったから・・」とご自身の輝かしい活動の経歴や実績にも常に控えめなコメントしかなさらない方でした。鉄のような意志で「私には老後なんて考えるヒマもないのよ」と社会に対して積極的に問いを投げ働きかけ続けた女性がもつ別の一面でした。私は素敵だなぁといつも憧れのような想いで見つめていました。
2月生まれでらしたふきさんがお亡くなりになったのも2月でした。もうまもなく亡くなって20年が経とうとしています。
今の時代は美容技術もかなり進化して、年齢がいくつになっても若々しい肌や体が保てる世の中になっています。お年を伺うとビックリするようなお美しい年配の方もいらっしゃりそのイキイキと自信をもって過ごされる様子に後に続く世代の私も励まされたりもします。
人にはそれぞれの美意識があるので、私はなによりその方、その方が自分自身に自信をもち堂々とできるのであれば大いに美容技術や化粧品の力は利用するべきだと思います。それによって沈みがちな心が明るく前向きになるのでしたら、存分に利用してぜひ人生を輝かせ一日一日ご自身を大切に愛し、生きていらっしゃるほうが本人のみならず、その周りの方々にとっても幸せをもたらすような気がします。
けれども、内側からにじみ出る美しさは技術や化粧品ではどうこうできません。これを輝かせるのはやはり、持って生まれた命を、日々あらゆるものごとに心を動かし、考え、それぞれその人なりの与えられた毎日を行動しながら精一杯生きること。その積み重ねがある日気づけば、表情にきちんと刻まれているものだからなのでしょう。
「40を過ぎた男は自分の顔に責任を持て」と言い放ったのはリンカーン大統領でしたか。40歳だとか男だとかに関係なく、人間だれしも生き方は必ず表情(かお)に表れてくることを示唆している発言のようにも感じます。表情(かお)はある意味、隠そうとしてもおのずと内から表に出てしまう ”人生の履歴書” なのかもしれませんね。
そうして何気なく鏡を覗くと映り込む、髪には寝ぐせのついた私の姿。その表情(かお)はまだまだ、これからです。
鏡に映る私の姿の向こうに、ベレー帽を斜めにかぶり微笑みながらしゃんと背筋を伸ばす在りし日のふきさんの姿が浮かびます。
「あなた、がんばってちょうだいね」と別れ際には必ず何度も何度も繰り返しおっしゃり、私の頬を包み込んで撫で、最後に同じように私の両手を包み込みぎゅっと握りしめてくださったふきさんの手の感触がどことなくまだほんのり残っているかのようです。
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