年が明けて、なにか新しい習慣をはじめてみようと考えていらっしゃる方も多いと思います。
その中には ”日記” を選ぶ方もいらっしゃるかもしれませんね。
こればかりは人によってさまざまで、「記録は自分の心に残すだけで十分」という人から「自分を振り返る材料になる」という人までいろいろな意見があるのもやはりそれぞれでおもしろいなぁと思います。
私はもうずいぶん昔に日記を書く習慣もなくなってしまいましたが学童期という感性がとても豊かに育まれる時期につづっていたことがあります。
いつだったか、父が几帳面にひもで結んだ要らない本をくくった数十冊の中に見覚えのある日記帳が何冊か含まれていました。
本棚を使いたいので不要な本を選んでくくったと言います。
何十年も昔のものですが、それが自分のものかどうかくらいはわかるので母と私はあわててそのひもを解きました。
手に取る数冊は小学校2~4年生くらいの時分のものだったでしょうか。
小学校にあがって間もないころ、私は母から一冊の日記帳をプレゼントされました。
そこになんでもいいからその日にあったこと、そしてその日に読んだ本を一冊あげて書くようにと言われました。
これだけ聞くと新手の情操教育かと思われますが、歯が生えていないうちから言葉を覚えおしゃべりを始めた私は幼少期からとにかくユニークで、あるときは一人遊びをしながら、あるときは2歳下の弟を引き連れて、よくもまあ次から次へと言葉が出てくるというくらいおもしろいことをしゃべっていたためそれを逐一記録するため書き取るのは面倒とあって、本人につづらせ記録に残してはどうかという母のもくろみでした。
言いつけられた通り、数日は考えながらその日にあったことを書いてみた気がします。ですが、あっという間に飽きてしまいめんどうくさくなってしまいました。
本だって読みたいときに読むものですし、また同じ本を手に取ることも多いのですから。
そこで私が思いついた策が「自分の創作物語」を日記につづる、というものでした。
自然の風景を眺めたり、日常のさささやかなひとこまなど、ふとした瞬間に頭に浮かんだアイデアを物語にして日記帳に書くことを始めたのです。
毎日、続きの物語が完結するまでつづられていきます。
その日に読んだ1冊の欄にはその創作物語のタイトルが書かれているので、最初は「こんな本はないでしょう?」と訝しがっていた母も見てみないふりをしてくれるようになりました。
何十年もの月日を経て開いてみた多感な子ども時代の記録には、とにかく眩しいくらいにキラキラした想像の世界が広がっています。
映画「ニューシネマパラダイス」のラストシーンを覚えていらっしゃる方は、エンニオ・モリコーネの名曲と共に郷愁感を伴うあのなんともいえないくすぐったい在りし日の青い思い出が鮮明によみがえる感覚をわかっていただけるかもしれません。
本日のブログのタイトルは8歳くらいでしょうか、ある日の日記帳につづられていたエッセイもどきのタイトルです。
学校へ通学する途中、木の上の巣から落ちてしまったのか、遊んでいるうちに母さんや他のきょうだいたちに置いてけぼりをくらい猫に襲われてしまったのか、ケガをして瀕死の子すずめが道に横たわっていました。
なんとか助けてあげたくて、私はなんと理科の先生のところへハンカチで包んだもうほとんど息をしていない小さな生命を運んでいきます。
着いてしばらくすると、子すずめは冷たくなってしまいました。
柔らかくて温かかった体がだんだんに死後硬直して固くなる子すずめがかわいそうで仕方なく、私は理科の先生に準備室にある他の大きな動物たち同様に「はく製」にしてくれるよう頼んでいます。
理科の先生がやさしくそれはできないよとおっしゃり、冷たくなった雀の子を暖かい土に埋めて天国へ送ってあげようねと一緒に理科室の脇にある木の根元に穴を掘ってくださいました。
一人では心細いだろうと、私のハンカチにそのまま包みお花も一緒に土に埋めてあげました。
そんな日常のなかのさやかなできごとを「ちゅんがコテン」といったタイトルで子どもならではの文章でつづってあります。
まだ「生命の尊さ」や「死」というものについて具体的な知識など何も知らない、けれども感覚的にそれらの大切さを理解していた時代のできごとでした。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
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