”人生で経験することに
無駄なことは何一つない”
といったようなことは
いろいろ経験して乗り越えて
それらが自らの人生で
輝きの肥やしとなっていることを
実感できて初めて
口にすることができたりします。
渦中にいるときは
そんなことを言われても
”今はそんな風に思えない!”
それが至極自然な心の状態だと
私も経験から感じています。
心がポキッと折れたり
折れそうになっているとき
まずはそんなご自身の状態を
自らが否定したり
拒絶することなく
一旦は、そうなっていることを
受け止めてあげることが
大切だったりします。
傷ついたり
エネルギーが目減りし
コントロールが効きにくい
心身の状態を支えるのに
自らに備わった2本だけでは
手が足りない・・。
そう感じた時に
他者の手を借りることもできるのだと
頭や心のどこかに
覚えおきいただけたらと思います。
私たちには
自力で這い上がる底力的なパワーが
どんな方にも漏れなく
備わっていることをも忘れずに。
ただし、そのパワーは
一旦弱まったり、枯渇して
止まってしまうことも
当然、一生懸命
毎日を生きている道程では
元々、不完全であるのが
人間という生き物なのですから
どなたにでも起こり得て
底力は備えていようとも
スイッチが固くなって入らなかったり
何かが絡まっている部分に
気づいたり、除去したり、ほどいたり
他者の手のほんの一押しが
必要なときもあるのだと思います。
日々、相談室で
多くの皆さんと出逢っていると
中には最前線で活躍なさる
様々な分野のプロという立場の方々も
たくさんいらっしゃいます。
プロだろうがアマだろうが
一般の人々だろうが
心が折れるときは折れるし
折れそうになるときだってあります。
自身に備わる底力はもちろん
自己管理する能力や習慣とは別に
人の身体や心には
私たちの想像を超えた
もっと複雑でデリケートな部分が
たくさんあるのだということ。
私自身、人生で
最大に苦しかった時期と
その経験を振り返ってみますと
手を借りることを
思いつかなかったのか
あるいは、それを頑なに拒んだのか
真意は今となっては
よくわかりませんが
自力で這い上がろうとだけして
無駄に長い時間を要したことは
よく覚えています。
手(力)を貸して欲しいと
言えなかったことももちろん
自らが自力でできるところを
とっくに超えて苦しんでいることに
気づいてやれなかったからだと
今、振り返れば冷静に思えます。
実は、他者の手(力)を借りる行為は
とても勇気のいることで
ある意味「強さ」も必要になってきます。
手を借りたいという方々は
決して弱いのではく
むしろ自らの窮状を把握し
弱っている自分を受け止め
認めることができており
今の自分には他者の手が必要だと
気づき、言い出せる力(能力)を
備え持っているのです。
これを強さと言わずになんといいましょう。
他者の手の存在は
ふわっと添えるようなものだと
思っていただけると
よいのかもしれません。
なぜなら、すべての皆さんに
生きる力も、這い上がる底力も
生来、ちゃんと
備わっていらっしゃるから。
そんなことにも
どこかで気づいていただけたら
うれしいです。
◎写真は昨年同時期頃の庭の福寿草。負けませんわよ~とどこかから声がしてきそうです。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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