【救われたのは言葉でなく、見ていてくれたこと】
生まれてすぐから耳が悪く
小学校に入学する頃は
医師から普通学級では難しいと
言われていたことは
以前こちらのブログでも
綴ったことがありました。
母が必死に
どの街に住んでいても
幼い私の手を引き
評判の良い医師を探しては
通院してくれたお陰で
普通学級に入学したばかりか
こうして今になっても
音楽を聴く、奏でる喜びを
味わうこともできています。
鼓膜はそれこそ何十回と
これまでに破ってはいますが
学童期以降の聴力は
通常レベルより
かなり高いとさえ言われています。
それでも幼少期、学童期の時分は
少しでも風邪をひくと
すぐにひどい中耳炎をおこし
鼓膜を破ってしまうので
風邪っぽいとき
または風邪をひいたときに
毎日のように治療のため
通院しなくてはなりません。
それはそれは
苦痛でたまりませんでした。
スポーツが好きで闊達な私にとって
放課後に友達と遊びたいのを我慢して
遠くにある病院へ通うことは
何より辛かったように記憶しています。
来る日も来る日も
同じ治療内容を繰り返し
治るのかどうか
先が見えないことに
幼いながらも
苛立ちを覚えることも増えていました。
ある日のことです。
突然、訳のわからない
深い悲しみが胸の奥にこみ上げ
診療室の一番奥にあった
耳を温めて治療する機器の前で
ひっそり静かに
泣いたことを覚えています。
「こんな生活がいつまで続くのだろう」
「私の耳は善くなることなどないのではないだろうか」
ただただ悲しくて
頭のてっぺんから顎までを
バンドでぐるぐる巻かれ
耳を温められた状態で
ポロポロ、ポロポロ
下を向いてうなだれたまま
涙をこぼして泣きました。
診療室の片隅にある一角ですから
治療中の医師や看護師さんたちからは
四角とあって見えにくい場所です。
しばらくすると
うなだれ、うつむいた肩に
ふいに温かい手が置かれ
「先生にあとどのくらいかかるか、今日は聞いてみようね」
と優しい声がしました。
ベテランの看護師さんでした。
肩に置かれた手が何より温かくて
とても安心したことを覚えています。
いったいどこで
見ていてくださったのでしょう。
何か特別な言葉を
かけられたわけではありませんが
人知れず独り泣いていた私を
”見ていてくれた” ことが
何よりうれしかったのだと思います。
さりげないこのシーンは
何十年も経った今でも
時折、思い出されます。
相談室にお見えになる
「変わりたい」と
強い決意を抱かれた方々が
ご自身でも生じ始めたその変化に
驚きや喜びを感じ
その先を期待し始めた途中で
日常に何か心を揺るがすことがあり
再び元の訪ねて来たばかりの頃の
自分に戻ってしまったかのように
感じられている様子を目にしたとき。
その心の内側の切なさが
いつかの自分
診療室の一角の暗い場所で
先が見えず、途方に暮れ
泣いていた幼い私の姿と重なります。
そこにほのかな光を
与えてくださった
あの看護師さんの心遣いを
思い出しては
何か特別な言葉というよりは
寄り添っているという姿勢で
相手を温かく包みこむ。
そう心がけています。
心の中の暗い迷い道で
独り怯えて泣いていた私に
ただ寄り添うことで
大きな安心感を与えてくださった
あの看護師さんの姿勢が
今でもどこか
私の指針になっている。
そんな気がしています。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
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