何かしらの心の痛みを
意識している
していないに関わらず
どこかに感じているとき
食自体に興味がなくなる
あるいは
空いた穴を埋めるために
ただただ食す
ということがあるものです。
ただ食す、というのは
目の前の食べ物が
何色をして、どんな形で
味の濃淡、舌の感触・・・
はどういったものなのか
そこにまったく関心がいかず
文字通りそのまま口にする
といった感じになるのでしょうか。
もちろん、私たちの人生には
暴飲暴食をして憂さ晴らしをしたくなる
そんな時だってあります。
そうした誰もが一時的に陥る
状況とは別に
”深夜、冷蔵庫の前に立ち
冷凍した食材を凍ったまま
むしゃむしゃと口にしていた”
といった話を伺う際などは
その方の心の穴がどれほど大きく
また気づききれてはいずとも
その胸に抱える痛みが
どれほどのものかを
想像ができるような気がします。
食事は単なる
食欲を充たすだけのものではなく
心や身体を
あらゆる感覚を通して
充たす大切な行為。
味わっていただく。
よく耳にする言葉ですが
ご自身の感覚との対話の時間でも
あるのだと思います。
その目で、耳で、舌で
触れることで・・・
食べるという行為を
全身を使って楽しみながら
今、この瞬間を生きるご自身を
改めて心から感じ
これまた、そのご自身をも
味わい尽くしていただけたらと思うのです。
できればそこに幸福感を
覚えられるのでしたら
最高ですっ!!!
◎馴染みの割烹にて食した天丼。前々日に塩尻市内の名店にて山賊焼きをこれでもかとご飯お替わりしていただいたにも関わらず、翌々日にはこれを食している我が身に、今日も己の胃腸の丈夫さを感謝し、健康であることを確認しております。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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