さてさて、朝から
雪景色を拝める一日です。
都内へ戻る日であっても
長野でのセッションを数件
こなしてからの帰京とあって
水っぽい重さを含んだ積雪に
「えいやこらさ」と手を焼くも
長野らしい冬の光景に
ほっこりもしています。
写真は、以前もブログで
ご紹介したことのある
私のパワー飯の源
とある割烹の天丼です。
ご紹介したブログ 『プチ断食とパワー飯』
感染症で世界が覆われた時期も
食材のみならず
世の物価が高騰したここ数年も
変わらずにこのてんこ盛りを
続けていらっしゃいます。
県内外、他の店でいただくと
(大盛りに特化したお店を除き)
このお店の野菜の多さと
野菜の大きさ、厚み
そして野菜そのものの甘さは
比較にならないほど。。。
惜しみなくずっとこのスタンスです。
長野県、安曇野という土地柄も手伝って
都市部ほどは野菜など地産の食材に
お金がかからない事情も
あるのかもしれませんが
変わらぬ量に
込められた心づくしには
どこか安心して
「また、あのお店に食べに行きたいな」
と思い出してしまったりします。
スタッフさんの対応だったり
お料理やお品そのものだったり
お店によってこの辺は
それぞれだったりしますが
いずれにせよ真心を
感じられるものだと思うのです。
以前、知り合った
とある資格取得に励む方が
広い意味では
我々のような心理職と
同じようなお仕事を
なさろうと準備なさっており
どんな風にクライアントさんと
向き合いたいかを語りながら
”おまけ” という言葉を
使っていらっしゃいました。
恐らく講師の方が
講義の中で使った言葉を
そのまま受け取っての
使用だったとは思われるのですが
「何らかのおまけをつけて帰せば・・」
(クライアント様に対し)
というニュアンスでしたでしょうか。
確かに、向き合った方の胸に
何かしらのお得感が残ることは
大事なこともあるのでしょう。
ただ、「おまけをつければ」という
言い方、あるいは考え自体が
ある意味ではそういう側面も
あるのかもしれませんが
少し嫌らしいというか
相手のスタンスに立っていない
形ばかりのもの
であるような気がして
実際に新しく当該の分野で
お仕事を始められて
その心持ちを抱き続ける結果
どのような軌跡(業績・実績)を
描いていらしゃるのか
ご自身の心と目で
実際に感じてみられることで
心の在り方を確認して
いらっしゃるしかないのかなと
考えたことがありました。
人それぞれに考え方もあります。
また、ここまでの人生を通して
言葉の意味づけの違いもありますから
真意はわかりません。
もしかすると
もっと純粋な意味で
用いられた言葉
だったのかもしれませんしね。
ただ、目の前にいて
向き合う方々に
「こうしてやっとけば
大丈夫だろう・・」
といった
どこかしら打算的な発言や
姿勢というものは
本人は知らぬだけで
必ず見抜かれている
あるいは感じ取られるものだと
個人的には考えています。
冒頭の天丼に所狭しと
盛り付けられた
お野菜の天ぷらを眺めるたびに
”作り手(提供する側)の心を
感じるって・・・”
ということを
美味しくいただきながら
教えていただいているような
気がするのです。
◎時々、野菜が甘く、たっぷりの天丼が食したくなって訪ねているお店です。1月からパワー補給!!!
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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