本当は自分の足で立てるのに
転んだ箇所はもう痛くはないのに
周囲や誰か大切な人の愛を
確かめたくて
ずっと転んだままでいる。
もしかしたら、皆さんも
幼少期にそんな経験をしたことが
あるのかもしれませんね。
他者に心がなかなか開けず
人との距離感をうまく掴めない時
相手から引きすぎるのか
あるいは
気を許せると思った途端に
相手の領域に踏み込み過ぎるのか。
どちらかに偏ってしまい
中庸を探すことが
難しいこともあると思います。
それでも、私たちの人生は
すべての人に対して共通する
「この距離感で」と当てはまるような
パターンがあるわけでなく
出逢った人それぞれとの関係性を
トライアンドエラーを繰り返し
程よい距離感を探って
自分にとって
また相手にとっても
心地よい感覚を見つけながらゆく。
そんな、人生を通して続く
大切な課題と
向き合い続けているように
感じることがあります。
寂しかった心に空いてしまった
穴を埋めるのは
誰かや、何かではなくって
ご自身が自らに向ける
愛や信頼なのだとわかったとき
転んで起き上がる際に
他者の手を借りることがあっても
決して寄りかかったままにはならず
自らの足でしっかりと
大地を踏みしめて立っていることに
気づけるようになるのだと思います。
他者の手を借りることも
時に、とても大事なこと。
けれども、それだけではない。
一人一人がしっかり自分の足で
大地を踏みしめ立っているからこそ
身近な人や周囲の人々との間で
依存などではなく
真に互いを助け合う関係が
構築されていくことって
あるのかもしれませんね。
◎写真は溺れそうなシャトレーゼさんのウサギ。クマちゃんに続き、ショーケース越しに目が合ってしまいました。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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