その花の花言葉は
「変わらぬ思い」
「不在の友を思う」
「別れた友を思う」
先日、知り合いの方にご案内いただき
ある地域のご年配の方々が育てる
お花畑を見させていただきました。
通りを運転していると
目に飛び込んでくる色とりどりの花々が
気になって仕方なかったからです。
ご案内いたくだとその鮮やかな花々は
『百日草(ジニア)』でした。
種類も色々な百日草があり
色彩のほか、形も様々で素晴らしかったです。
初夏から秋にかけての長い期間
同時期に咲いた他の花が
次々に枯れていくところを
百日草は咲き続けることから
この名前がついたことは
よく知られている通りです。
先の花言葉
「不在の友」(別れた友)には
実際に既に亡くなった友をさすこと
また、開花がお盆の時期と
ちょうど重なることも手伝い
盆花、供花、献花に用いられることも
多いのかもしれません。
訪ねた際に撮影した
丁寧に育てられた百日草のを眺めながら
相談の主訴となる部分の延長で
友達(親友)について
話があがることが多かった
ここ数ヶ月のセッションを思い出します。
一言で "友達” と言っても
人それぞれに
その定義があることでしょう。
今、離れてしまっている理由も
様々なのかもしれません。
何かしらの衝突
行き違いや誤解が生じて
物理的に会わなくなったり
連絡を取り合わなくなった
というケースもあれば
ある時期には頻繁だったやりとりが
お互いの環境に変化が生じ
自然と連絡が減るようなケースも
あるのかもしれません。
それでも、一度繋がった縁において
たとえ、過去に何があったにせよ
今、この瞬間に心の中で
「大切」と思えている存在は
どこかでちゃんと見えない糸で
繋がっているような気がするのです。
一時、離れていることがあっても
本当に大切なご縁なら
時を経て再び繋がることも
あるのだと思います。
気になるのでしたら
思い出したことにも
意味があるのかもしれませんから
よきタイミングをみて
連絡をしてみる選択もあるのでしょう。
これまでと同じ繋がり方なのか
復縁した時には
新しい形で絆が紡がれていくのか
そこは誰にもわかりません。
ずっと身近にいて思いを語り合う。
それも素晴らしいことだと思います。
一方、たとえ離れてしまっていても
その存在を胸の中で身近に感じることで
ほっと安心をしたり
励まされたり
勇気づけられたり
希望が心に灯るのであれば
それはどのような形でも
”友達” なのではないかなと
個人的には考えながら
愛らしい花々の写真を眺めています。
人生のなかで何かしらのご縁あって出逢い
対話や接触を通し互いをよく知り合い
多くの影響を与えあった。
そのことに、まず感謝できたら
素敵だと思うのです。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
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