我が家では清掃分担なるものがあります。
そんなにがちがちに決めたものではありませんが
ある時期、あまりにも皆が自分のことばかりに
集中するあまり
家の中が雑然とし過ぎていたことが原因です。
子供の頃、私は心がきれいになるようにと
トイレ掃除を毎日やる日課になっていました。
今は父が、その役割を文句を言いながらも
母から与えられたとおり2日に1回
トイレのカレンダーに丸印をつけて
欠かさずやっています。
公人だからといって
我が家の内内においては免除はありません。
ある日、父が言います。
「今日はトイレきれいだから掃除しなくていい」。
いやいや、ちょっと待てぃ!!
トイレは毎日何回も家族が使う場所です。
床も便器も汚れていないわけはない。
キレイなのは、たまたま入ったときに
汚れが目についた人が、その場ですぐに
できる限りの掃除をしているからです。
こういう感覚、私たちの誰にでも
あるかもしれませんね。
公共の施設、公共の交通機関、公衆トイレ。
きれいで清潔が当たり前になっています。
私はコロナ禍になる昨春まで
1ヵ月に3~4回は日帰り、長期含め
都内へ戻る生活パターンでした。
使用する電車(地下鉄含め)やバス
駅、バスターミナル、ホテルに
高速道路のサービスエリア。
公共の機関で不快な思いをしたことは
おかげさまで一度もありません。
それは、常に誰かが見えないところで
私たちのために心をこめてきれいに
お掃除してくださっているからです。
お花が飾ってあるサービスエリアのお手洗いに
長距離運転の疲れがどれだけ癒されることか。
ほんのささやかな心遣いです。
それでも、そんなささやかな気持ちが
何気ない拍子に心に響くのです。
きれいであることが当たり前。
もちろん、そこをお掃除くださるのは
その道のプロの皆さんです。
けれども、清潔できれいであることが
誰もが気づかぬほど当たり前の
レベルでいつも保たれているって
実はすごいことだと思います。
当たり前に感謝するということは
ほんとうは特別なはずの、日常に
自然に溶け込んでいるものごとに対し
心を動かすことなのかもしれませんね。
じゃーっと勢いよく洗面所の水を出し
洗った手を振り払う水しぶきや
とかした髪の毛が何本も落ちたままの洗面台。
お家で誰か(自分)のためにきれいにする
習慣がついている方は、おそらく
公共の場で目にする汚れっぱなしの状態を
せつなく感じられるのではないでしょうか。
私も目にするとすぐにその場で次の人のために
軽くお掃除をさせていただきます。
けれども、私以上に早くその状態に気づき
完ぺきなお掃除をしてくださる方々が
いらっしゃる。
見えないところで常に誰かが
次に使う人々の笑顔のために
清潔にお掃除くださっていること。
頭と心のどこかに常において
感謝して使いたいですよね。
お家も公共の施設も一緒。
皆が気持ちよく使うために・・・。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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