2月に亡くなった虎ノ門のおばを好きだった理由のひとつに注意の仕方がありました。
私にとっては特に、思春期~壮年に差し掛かるまでの長い期間にわたり母親のような存在でもあったので一緒に暮らしていて、いろいろ素行や行儀などについても教えていただくことはそれなりにあったと思います。
おばは必ず、その様子を私自身に見させて「あなたはどう思う?」と私に訊ねました。
両親からは子供の時分より「~してはダメ」「~しなさい」という注意のされ方ばかりでした。
私は生意気な子供でしたから、何かを言ってくる相手に対してその人自身ができていないのに理由もなく高みからわかったようにものを言われること、またできていない人に自分の行動をあれこれ干渉されることに対しものすごく違和感があり、不快感と反発を覚える子供だったような気がします。
けれども、おばは「~しなさい」「~してはダメ」の代わりに「あなたはどう思う?」と私に、一呼吸ついて自分の行動やふるまいを客観的に見て考える機会を与えてくれたのです。
不思議なことに、そういわれるとふっと俯瞰して自分の行いを見つめることができ、素直に正すところを受け入れることができました。
すごいなぁといつも思っていました。
不快感や違和感がわき上がらずに、ただ自分のとった行動や目の前の様子を客観的に見つめることができるのです。
目の前の、あるいは自身の放った言動から生じた現状を受入れると「じゃあ、こうしよう」と自主的な改善の行いが出てきます。
たとえば、玄関の靴の脱ぎ方が忘れ物を取りに戻ったタイミングで慌てていたとはいえ、とんでもないことになっていたとします。
すると、「あなた、これを見てどう?」と静かに言われると「あ、やべ」「いい歳して恥ずかしいな」と素直に自分の行動を正すことができるのです。
これを、たとえば父のように「靴くらいきちんとそろえて上がりなさい!いったいこの騒ぎはなんなんだ!いい歳をして恥ずかしくないのか」と言われたら「急いでいるんだから仕方ないでしょ」「細かいことで、ごちゃごちゃうっせーな」と自分のふるまいを棚にあげて反省するどころか、反発心と言い訳が先にでてきてしまうと思うのです。
相手が子供であれ、大人であれ、いきなり叱りつけたり、頭ごなしに相手の言動を正そうとしたり、ときに人格や性格まで責めるような物言いをするよりは、相手に自分の行いを自ずと振り返り考える(感じる)機会を与えるこの言い方はずっと説得力がある気がします。
自分のふるまいや目の前にある状況を一息ついて俯瞰的に眺めることができる「あなたはどう思う?」という問いかけ。
皆さんはどう思いますか?
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