人に頼ることをためらってしまう。
どなたにも経験があると思います。
その昔、私が再度学生に戻る際に
知り合った方がいます。
若年性のアルツハイマーを
発症なさって10数年になる
お母様を抱えて
お父様と二人でご自宅にて
ケアをなさっていました。
けれども、この事実を知ったのは
ずっと後のことでした。
知り合って1年ほどで
お父様は突然に癌が見つかり
急逝なさってしまいました。
このとき、初めて
その方の抱える詳しい事情を伺い
いろいろを知ったのです。
同じく社会人の身で
退路を断って勉強するなか
人知れず様々な不安や恐怖を
その胸に抱えつつも
誰にもその事情を話さずに
たった一人で踏ん張っていました。
授業が終えるなり
慌てて飛び出すように急ぎ足で帰る。
そんな様子をみて
何かあるのだろうなと思うも
それ以上踏み込むことはできず
静かに見守っていました。
振り返れば
その方は常にギリギリでした。
針をさせば
一気に破裂してしまいそうなくらい
いつも精神が張り詰めていたのに
傍にいながらも
そこに触れてはいけない気がして
それ以上何もできなかったのです。
お父様の訃報の連絡を受けた時
その方の抱えるすべてを
初めて打ち明けられ
電話越しに2人で声をあげて
大泣きしました。
「がまんする場所じゃないから」
と言った私の言葉に
常に冷静でクールだったその方は
堰を切ったように泣きだしました。
初めて聞く、まるで子供のような声で
2時間以上、ひたすら泣き続けました。
どれだけの思いが
その胸に溜まっていたことか。
どれだけのものを独りで
抱えてきたのか。
想像するだけで私は怖くなりました。
幸い、社会福祉の助けを
受けていたとのことでしたが
それもお父様が亡くなくなる
直前のこと。
やはり、何もかもお一人で
抱えて踏ん張っていたのです。
それぞれの事情もあるでしょう。
でも、一人でできることには
限界があります。
”もっと早くに誰かを頼れたら”
と言ったその方の一言が
胸に突き刺さりました。
頼っていいのです。
独りで抱えなくてもよいのです。
誰かに事情を少し話すだけでも
よいのです。
私自身はどこか
猪突猛進的なところがあり
意図せず、ずっこけるので
周りが放っておけずに
お力を貸していただくこと
多々あります。
格好悪いとさえ思いません。
自分にはない力や知恵を
借りたいことは生きていれば
誰でも、いつでもあるからです。
一人で踏ん張ること、と
他者から知恵や力を借りてよいこと。
人生には様々な局面があります。
どうか、独りで
その重い荷物を抱えようとせず
頼ってみるという選択肢を
頭のどこかにいつもおいて
日々を過ごされますように。
私たちはここにいますから・・。
毎日をがんばっているあなたへ。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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