ネモフィラ 2025の1

 

タイトルのような言葉を

自らを表現するのに
用いるシーンに出逢うことは
いろいろな場面でありますが

多くの場合は

ご自身を卑下しているのとは
また少し違って

ニュアンス的には

「自分がなんぼのもんか知ってまっせ」

という感じで
発さられていることも
多いように感じています。

 

これは、どこか

「自分には弱いところもあるので」

とおっしゃる方々の
言い分にも似ているところがあって

やはり謙遜や卑下をしている言葉とは
また少しニュアンスが違った

むしろ、客観的にご自身を眺め

至極冷静に俯瞰した視点から
おっしゃっていることが多く

私からすると

「よくご自身を眺めていらっしゃるんだな」

と感じざるを得ない

お一人お一人の力を感じる瞬間でも
ありますでしょうか。

 

自分自身の弱さや
なっちゃないなぁ・・という

本来ならば認めがたい
備え持つ各要素を
認めるには心の力がいります。

 

口先でただ言うだけは
非常に容易ですが

本当に参った、あるいは
どん底といえる局面や
修羅場に際して

そうした部分を
真に受け止めるには
相当な力がいるというわけです。

 

弱っている、あるいは
弱みを持つご自身をそのままに
感じ取れ認められる

という力そのものを
持ち備えないこともあれば

力は元々あっても
速いスピードなり
強い連続的な刺激に
慣れてしまい

感覚が麻痺して気づけない
という人々もいます。

 

言葉面(づら)だけに
捕らわれる方々には

下手すると
自己卑下にも受け取られかねない
発言や言葉にも

きちんと一人一人の本質を
瞬間的に見抜くことができる人には

”いや、そうじゃない。
これはこの方の持つ力だ”

とはっきり感じ取れるもの。

 

謙遜でも、自己卑下でもなく
自らに高下駄をはかすわけでもなく
張りぼてのできた人間を装うでもなく

あるがままの自分を
等身大で捉え
それを善いも悪いもなく
受け止めることができる。

それを力と言わずになんといいましょうか。

 

言霊というものも
もちろんあるのでしょうが

自らの現状や真の姿を
受け止める力がないままに

一見、ポジティブに思える
きれいな言葉ばかりを
無理やり並べて

自分自身や相手を
うまくだましては
説き伏せようとするよりは

個人的には
よほど力があるんじゃないかな
と毎度ながら感じています。

 

”ろくなもんじゃねぇ”

 

私自身も自分の経てきた
ここまでの人生の道中で

そういう自分を

最初は、認めるのが嫌で嫌で
微塵も受け止めたくもないから始まり

イヤでも感じざるを得ない
あるいは認めざるを得ない

そんな道程、時間を
過ごした経験があります。

 

だからこそ

『”ろくなもんじゃねぇ”上等!』

その道程を持っていること
そんな自分自身を
何より愛おしく思えたりするのです。

 

投稿者プロフィール

小松万佐子
小松万佐子こまつまさこ心理相談室(安曇野ルーム)心理カウンセラー
今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
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