それを見せるか、見せないか
感じるか、感じにくいか
それだけの違いなのでしょう。
私たちの人生には、時に
”永遠にここへ
閉じ込められているのでは・・”
と感じるような苦しみを覚え
経験する時間や時期が
あったりします。
真っ暗な海底や闇の中に
取り残されたようで
ここから出ることは
もう叶わないのではないかしら
そう感じることも
あるのだと思います。
一生懸命生きているからこそ
人生において、時に
生じる感情だったりするのでしょう。
散々、目の前の
あるいは周囲の人々を呪い
他責をこれでもかと続け
そうしたところで
何一つ解決しないことが
どこかご自身でも
わかっているからこそ
さらなる絶望を覚え
それでも逃れたく
懸命にもがいては
のたうち回るの繰り返し。
人や環境のせいにして
救われることがなくても
そうするしか
感情の納まる場所がなく
延々と毒を吐き続けるしかない。
そのループから抜けるには
ご自身の内面に光
つまり、夢や目標を
最初はぼんやりでもよいから
抱くことだと思います
暗闇に希望の光を灯し
その光に向かって
自らが、まずはその光に向かって
確実にできることから
小さな一歩、ステップを
確実に踏んでゆくこと。
繰り返し綴ってきましたが
本物の自信は
他者からの評価や誉め言葉では
一切つくことはありまん。
そして、他者がかけてくれる
受け止めやすく心地の良い
耳障りのよい言葉ばかりを集めた
偽りの自己確認からは
起点そのものが偽り
真実を捉え損ねているのですから
どこまでいっても偽りのまま
本物にはなることはないのでしょう。
「今のご自身」を
善いも悪いもなく的確に知り
迷い込んだ森の中のどこに
今、いらっしゃるのか。
今のご自身が、認めたくない姿や
状態、状況であったとしても
実は、そんなことは
どうでもよかったりします。
そこを認めて歩み始めた軌跡は
本物でしかないのですから・・。
本物は、そびえたつほど
大きくはないでしょうし
キラキラ眩いほどに
見栄えがいいわけでもないでしょう。
けれども、誰が何を言おうと
何が起ころうとも
決して奪われることなどない
本物の自信は
どのような暗闇の中でも
光を絶やすことがないことと思います。
そして、私たちは本能を通して
そのことをどこか
わかっているような気がするのです。
たとえ、辺り一面が暗闇であっても
ご自身ならではの希望の光を灯し
一歩一歩を確実に
ご自身が備え持つ真の力を信じて
今日も歩まれますように。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ