ピアノの小作品にありそうな
タイトルで恐縮ですが
(ギロックなどなど)
秋風が頬を掠めることを
感じるようになってくると
身体や心の疲労を
覚えることが多いです。
どんなこともそうですが
何かに没頭したり
懸命に向き合っているときは
気づきにくいのが私たち。
少しひと息つくような時間ができたり
緊張感に緩みが出ると
途端に不具合や不調があることを
覚えやすくなります。
身体や心が送ってくるサインには
お一人ずつ特有の
あるいはある程度共通しているなど
様々なものがあるとあって
私も日々のセッションでは
その方と一緒になって
ノックしてきたその部分を
とっかかりとして
あらゆる角度から丁寧に
眺めさせていただきます。
繰り返しこちらのブログでは
同じ事を言葉を変えて
しつこく伝えてまいりましたが
痛みを覚える部分から
根っこの端くれが
顔を覗かせる場合もあれば
痛みが元々弱く、出やすい場所に
表われただけで
根っことは繋がるも
芯にはあたらない(根っこは別にある)
といった場合もあります。
これは身体も、心も
区別なくどちらでも
言えることだったりします。
秋風が心地よく肌を掠める時分
ふと覚えた違和感や痛みを
丁寧に、丁寧に感じるところから
始めていってみましょう。
それを ”ご自身との対話” と私は呼んでいます。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ