春一番が吹き荒れた日から一転
もう一度、寒の戻りを経験している
朝を迎えています。
陽気も、寒暖を繰り返しやすく
日々の暮らしにも変化が多く
心が落ち着かない。
そうした一面もある
時季なのでしょうね。
何かしらの選択において
心を決めなくてはならない状況に
置かれていらっしゃる方々も
あるのかもしれません。
今日はこうだと思ったら
翌日はまるきり逆の思いや考え。
一日刻みどころか
揺れる思いが毎瞬間訪れるなか
大切なことを決めあぐねている。
そういう時にできる対処法は
もどきはあっても、実はなく
これは私のカウンセリングでは
クライエント様たちに
しょっちゅう
口にしていることですが
ただ眺めることなのだと思います。
ただ眺める。
これはまさに
”言うは易く行うは難し” です。
私自身、人生のなかで
これをやったこともない人に
この言葉をさもわかった風に言われたら
心底、腹がたつことと思います。
そのくらい簡単そうで
なかなか大変で
難しいことだったりします。
けれども、自分自身が
荒れ狂うような
めまぐるしい環境や感情の中で
これを、それこそ
トライアンドエラーでやり続けて
(正確にいうと、やるしかなかった)
得られた感覚は大きいため
今でも、その都度
自分の思いに対して
あるいは、伴走できる立場としても
お相手ご本人の力を
そっと寄り添うように
見守らせていただきながら
その足下をランタンで
照らしていくような
役割を果たしているようにも思います。
悩み、そして選択の過程にあるときは
渦中にいるのですから
自分自身を俯瞰して見つめることは
容易ではないことが多いでしょう。
それでも、行きつ戻りつする思い
あるいは振り子のように
瞬間瞬間、真逆に揺れる思いを
ただただ、善いも悪いの
ジャッジすることなく
眺め続けることでしか
見つからない着地点も
あるのだということ。
焦るあまりに頭で考えたことで
自分自身を説き伏せたり
脳で言い聞かせて
辿り着いた着地点は
いずれ、この先どこかで
置き去りにされた心が声をあげることに
繋がっていきます。
もちろん、そうなった時に
その声を聴き直すことから
再度始めることもできますが
苦しいけれども
今、この瞬間の持て余すような
ご自身の思い(感情)や考えを
味わい尽くし眺めることで
+でも-でもない戻る場所
ニュートラルな0の地点を
自ら探しあてていく習慣は
これから先もきっと
どのような思いに
心身が乗っ取られそうになっても
自ら忍耐強く眺め続けて
落とし所を見つけていく
そんな力と術を身につける
一助となっていくことと思います。
不安かもしれない。
怖いかもしれない。
それでもご自身の人生です。
揺れに揺れて
頭ではなく心が納得のいく
選択をなさっていただくことを
信じては願っています。
もちろん、自らが備え持つ力を
誰よりご自身が
信じることも忘れずに
伴走者としてお手伝いできる私は
いつでもここにおりますから
心のどこかで
思い出していただければ幸いです。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
“春先の揺れる思い(眺めるということ)” に対して1件のコメントがあります。