”人が作った境と自然の境”
車を運転していると目にする
市町村や県をまたぐ際の
境を示す看板。
あの看板があるからこそ
私たちはここからは
これまでいたのとは異なるエリアに
入ったのだと理解することができます。
逆に、それらの標識がなければ
何の区別もつけることができません。
結局は、自然にあるものでなく
人が後で引いた線によって
区分けをされているわけです。
かつての中東での争いの際に
イラクへ物資を運ぶための
国境の米軍を訪ね
隣国との境へ出向いた際にも
今この瞬間も砲弾が飛び交う国と
マーケットで語らいながら
バーガーを食べる国とを分ける
この国境という存在は何なのかと
戦闘車を含めた途方に暮れるような
長い車列を眺めながら
考えてしまったことがあります。
私の足下には、ただ赤茶けた
砂漠の土があるだけで
線を示すものは何もありません。
本日のブログに貼った写真は
安曇野市を代表する撮影スポット
大王わさび農場の写真です。
ここに流れる川は写真に写る
スポットのすぐ先で
もう一つの支流と交わり
一本の川となります。
少し上から眺めるとわかるのですが
水中の温度が明らかに異なるために
合流してからも二つの川の内成分は
交わることがありません。
つまり、はっきりと色が異なり
線引きしたような形で
同じ川として流れていくのです。
自然界は不思議だなと思います。
温度差によって生息する
プランクトンたちも異なり
相交わることがない。
科学的な根拠があって棲み分けや
区分けが生じる自然界の法則は
どんなものも探究心をそそります。
けれども、私たちが目にする
この地球上の区分けは
私たち人間が後々に
自分たちの都合で引いたもの。
それがあるからこそ
生活がしやすいこともあり
それによって
分離や分断が生じることもあり。
地上に作った境はあっても
私たちの心に境はなく
自ら開きさえすれば
何の区別も分別もありません。
宇宙から眺めた地球が
陸は陸、山は山、海は海
といった具合に
自然界の都合で分かれている以外は
何一つ線引きがないように
今この情勢下だからこそ再び
私たち一人一人が開いた心で
日々を暮らすことが
大切であるように思っています。
異なる暮らし、異なる言語
異なる肌の色をしていても
地球という美しい星の上に
共に生存する人類
つまり地球市民として
今一度、一人一人が
意識を目覚めさせることが
大切なのかもしれません。
私たちの足下の大地は
また振り仰いだ天空は
地域や都道府県はもちろん
すべての国境を越えて
あらゆる人々と
繋がっているのですから・・。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ