身体や心、どこかに耐えがたい
苦しみを覚えた経験のある方は
少し想像がつくかもしれません。
”また同じ朝がやってきた”
こんな言葉を
苦しみの淵にある方の発言の中に
見つけたことがあります。
たとえ新しい朝がきても
それが苦しみの延長としてしか
感じられない・・。
そんな日や時期もあるのだと
自分の経験はもちろん
身近な存在の姿からも
教えられたことを思い出します。
それでも朝はやってきます。
夜の世界を覆った暗闇は
ちゃんと明け
澄み渡るように始まった世界の
眩い朝陽に触れたとたん
昨日までの自分が刷新されたような
気持ちにさえなります。
朝がくることは当り前ではなく
何があっても「生きている」ことを
改めて実感する瞬間。
うれしくても
希望に溢れていても
悲しくても
苦しくても
何も思わなくても
それでも朝はやってきます。
今、こうして
当たり前のように目を覚まし
ここに存在していることに
少しでも感謝できれば
それで良いのかもしれません。
感謝ができなくても
「生きている」ことは事実。
生を実感するためにも
ご自身の手を昇ったばかりの
朝陽に透かしてみて
いただきたいです。
精巧かつ繊細な青い血管が
私たちの意志など関係なく
力強く脈打っています。
「生きている」
朝を迎えるということは
今日という一日を
また新しく創造できる機会を
得たということなのかもしれません。
すべての人に平等に与えられた
”朝陽と共に新しい一日を迎える”
という瞬間を
改めて大切にしていきたいと思う
初秋の金曜、いつもの朝です。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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