日々の生活のなかで少しいろいろな部分が閉じてきているなぁと感じるとき。
何かに夢中になっていたり、一生懸命になっていらっしゃるときは気づかないのかもしれません。
でもそうしたことが一段落ついたあたりでふと「あれ、なんだか疲れているのかも」と改めて心や体の違和感を覚える経験はどなたにもあるかと思います。
先日、「休息のすゝめ」というブログを書きましたが本当に心身が疲れているときのブレイクにはあえて力を必要とする何かをすることはおすすめできません。
私自身、「あれ、疲れているかも」のサインを感じたら置かれている環境が許す限り、いったん目の前の机や考えることから離れて自然の中へ飛び出すようにしています。
このような心身状態のときには接する人も、またその言動も含め、力が入って前のめりのものすべてから距離を置きたくなるのであえてそうした人やものごとからは離れ、なるべく自分自身の心を静かに見つめ深い呼吸を得ることができる環境を自らつくるようにします。
現在私が住まう環境は自然に関しては贅沢なほどに恵まれているので、運転してドライブがてら出かけた先の木立のなかでゆっくりコーヒーをいただいたり、ただ目的もなく歌を口ずさみながら林道を散歩をしたり思うままに森林浴を楽むことをしています。
そんな最中に出会った見知らぬ人との素朴な会話に、これまで張り詰めていた何かが溶け出すこともあり心が再び開いてくる感じを覚えることも多いです。
散策しながら春を間近に感じる草花や木々の発する声をただ静かに心で感じて、深く息を吐いて呼吸を整える。
これだけで状態が回復することが結構多かったりします。
けれども、自然の中に身を置くことで心身の休息が見つかっているのでは決してないのでしょうね。
自然の力を借りて、私たちが皆、本来ならば私たち自身の中にあるはずの安らぎや治癒力、またエネルギーの発火点を感じなおして休息しているといったほうが良いのかもしれません。
本物の休息は、「青い鳥」と同じく遠くのどこか外に求めて見つかるのではなく、どんなときも私たちの中にあり、そこでこそ真の回復を得られるのだと思います。
「大丈夫だよ」と一声、自分自身にかけてあげるだけで私たちの心は他の誰に励まされるより安心し力づけられます。
私にとって森林浴は少しだけ頑なになった心をほぐすことに力を貸してくれる、そんな大切な習慣です。
けれども、ほんとうに大切なのは私自身の体の中に入って、力を抜き呼吸を整え、ゆっくりと心や体を見つめてみること。
これが真の休息なのだと思っています。
というわけで、今日も昼過ぎから少し時間があるのでブレイクがてらコーヒーをいただきに安曇野の木立のなかへ・・。
寒が戻り冷え込みの厳しい一日ですが、皆さんも暖かくされ上手に休息を挟みながら充実した午後をお過ごしくださいね。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
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