今年も立春が過ぎ、すでに日本各地から紅白、また種類も様々なかわいらしい梅の花や早咲きの寒桜の写真などが発信されています。
眺めているだけで春がもうすぐそこまで近づいてきているようで、身体全体がふわふわと浮足立つ高揚感に充ちてきます。
こんな春と冬が入り混じる時季には私たちの心も、もう少しばかり辛抱が必要な冬の寒さに耐える毎日に差し込む光のような、何かしら幸せの兆しを求めてアンテナをいつも以上に張っているからなのでしょうか。
身の回りにいつも以上に発見が多い時期でもありますね。
芽吹いたばかりの植物や木の芽、日に日に変わる空の色、モノトーンの世界に差し色のように映える柔らかく、鮮やかな色の数々。
ほんの小さな発見がそれまでの気分を一転させ、またそのあとの一日を大きく変えてしまうほどに影響するのですから不思議ですね。
私自身が経験した少しばかり苦い思い出を今日は綴ってみます。
あれはもうずっと前、私が再び大学生に戻ろうとしている時分のこと。
朝から晩まで、とうぜん日常のことをこなしながら限られた時間で勉強に取り組んでいるので、時間には数分たりとも余裕がないと思い込んでおり、また心にはさらに余裕がなく完全にその扉を閉じてしまっているかのようでした。
応援してくれていた学生時代からの友人が、それでもなんとか気分転換をさせようと私の住まうエリアまで足を運んでくれ近所の神社へ初詣に出掛けることになりました。
都内の我が家では新年のお参りにはご近所の愛宕神社か、散歩がてらに出掛けられる赤坂の氷川神社か日枝神社に出向くことが多かったのですが、その年は1月半ば過ぎにもなるのに初詣には出向いていませんでした。
私は半ばその友人に無理やり引っ張り出されるように日枝神社を詣でることになります。
久しぶりに顔を見る友人と話をすることに夢中になり、どのように神社の境内へ入ったのかすら覚えていないほどでした。
よほど話すことに飢えていたのか間が途切れることなく話をしている途中、突然に友人が「あ、梅!」と私の背後を指さし顔をほころばせます。
「え?!」と少し訝し気な表情をした私が振り返ると、そこには1月半ばだというのに咲き始めたばかりの白い梅の花がその可憐な花弁を揺らしていました。
私はものすごい衝撃を覚えます。
なぜなら、うれしいとき、悲しいとき、どんなときでも常に心のアンテナが動き、ささやかであるけれども大切な ”小さな幸せの種" を見つけることが子供のころから自分は得意だと思っていたからです。
ところがあの日、友人が白い梅の花を指さすまで、いえ、指差しされても、最初はその枝に小さな梅の花が咲いていることに気づけなかったのですから。
どれだけ心のアンテナが鈍ってしまっていたことか・・。
そして、心の目もちっとも開いてはいませんでした。
たとえ少しであれ「ふう~っ」と息を吐きだせるほどのゆとりを心にもっているからこそ初めて、気づける、あるいは目に映るものごとや世界があるのだということを改めて強い衝撃をもって思い知らされた瞬間でした。
立春が過ぎ、これからさらに新しい季節に近づいてゆくと目の前や身の回りにある色も、景色も、そして人の様子も、だんだんにこの時季だからこその色合いや風景、人間模様へと移り変わりその目に映し出されていくことでしょう。
来る春の気配に胸躍らせながら、今一度、冬の間に寒さで少しばかり縮まってしまっていた私自身の心の窓をしっかり開き、その目に柔らかい春の陽射しを差し入れ大きく見開いて、ゆっくり深い呼吸をしながらものごとを見つめていきたいと思います。
皆さんに、今春もたくさんの素敵な発見がありますように。。。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
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