20代頭の頃だったと思います。
まだ身内の死というものに立ち会った経験がほとんどない時分のことです。
老衰で亡くなった親戚の火葬に参列する機会がありました。
火葬場にてとても清んだ美しい表情をされた仏様と最後のお別れを迎えたときのこと。
お棺の扉が閉じられた瞬間
よく知る親戚のおばさんが取り乱したように大声をあげて泣き出しました。
他の言葉はなく、ただ「おとうちゃん」と繰り返し
まるで幼子のように泣きじゃくるその様子に
なぜだかわかりませんが、私も一緒になって泣きました。
魂の奥の、いえ、まだそのずうっと奥からの叫びであるかのように
何の覆いもなくストレートに胸に突き刺さってくる深い慟哭でした。
支えられなければ立っていられないほどに取り乱して
ひたすら「おとうちゃん」を繰り返して泣きじゃくるその姿には
笑顔が似合ういつもの陽気なおばさんは微塵も感じられません。
もっとずっとずっと小さな子供のようにさえ目に映りました
親と永遠にお別れするということが
どうにもならない哀しみなのだということをそのとき初めて知った気がします。
それがどれだけたとえようのなく切ないことなのか
胸に矢のように突き刺ささり、震える魂から絞り出されたような哀しい泣き声と
「おとうちゃん」のただ一言で
それ以上の説明はいらないくらいに感じることができました。
あの日聴いたどんな立派な弔辞や故人に送られた数々のメッセージよりも
私の耳と胸に今でも残る、この世を去ってしまった大切な存在を
ひたすら切実に求める言葉でした。
どれだけ愛され、また愛した存在だったのか。
まるで私もそれをずっと傍らで見てきたかのように
わかるような気さえしました。
「おとうちゃん」・・・。
もう何十年も昔、澄みきった美しい水色の空がどこまで高く伸びていくような初秋のある午後のことでした。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
小松万佐子から皆様へのメッセージ
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