私は子供のころから手紙を書くのが好きでした。幼少期に読んだ、ご存知の方も多い「あしながおじさん」(ジーン・ウェブスター著)という児童文学作品の影響なのかもしれません。
主人公である孤児院育ちの女の子、ジュディが “あしながおじさん” と名付けた姿を現すことなく彼女の大学進学を援助する孤児院の評議員に向けて、学業の様子はもちろん、揺れ動く思春期の繊細で感性豊かな日々の心内を綴っていく様子がなんとも微笑ましくて、ある種 “憧れ” を抱いていました。
翌日会って友達に直接伝えれば良いことまで、わざわざ可愛らしい便せんにしたためて手紙を渡したりしたものです。渡す先から同じ内容をしゃべっているのですから、いったい何のために書いたのやら・・。
それでも、「文字にしたためる」という行為が子供心にとても特別な感じがしてそれを味わうためにだけ行っていたのかもしれませんね。
我が家では何かを頂いたときのお礼、四季折々・・など、何かことあるごとに文をしたためるという光景はよく見られるものでした。父がたまたまそういう性質だっただけなのかもしれませんが、筆と硯を用意して文をしたためている様子は幼い時分から目にしていた日常の一部だった気がします。
私も書道はやっていましたが、先述の「あしながおじさん」の影響でインクとペンで物を書くことに憧れていたので、10代になると筆と墨汁よりは手紙を書く際にはインクとつけペンとあえて決めてこだわるようになっていました。
いちいちボトルインクにペン先をつける面倒くささが、また特別感を抱かせわざわざその手間をかけていたような気がします。
何より、ペン先をインク瓶に入れ、相手を思い浮かべながら伝えたい内容をゆっくり考え、それらを整理しながら書く。ちょっとした手間暇が私なりの文字に思いを込める儀式のようなものだったのかもしれません。
都内はお茶の水にあるこれまたお気にいりの画材屋さんで、なくなるとその都度補充していたボトルインクもペン先も、時代とともに簡単にネットで買えるようになりました。
けれども、店へ足を運んで陳列棚に並ぶインクを手に取り、先のとがった付け替え用のペン先を店先で白い紙に包んで頂いて帰るあのワクワクする感覚は今でも大切にしたくてなるべく出かけて購入するようにしています。
すべての手紙に対して使っていたつけペンとインクも、年齢を追うごとに段々効率重視になってしまいあの「ちょっとの手間」を惜しみ市販のペンで代用することも多くなってしまいました。
子供のころから胸躍らせていたインク瓶に細いペン先を入れる感覚。最近では一年のうちでも限られたタイミングでしか用いないことも多くなってきています。
窓辺にある机のイスに腰かけ、あの児童文学の主人公を気取って頬杖をつきながら窓の外を見やり、送る相手を思い浮かべては心の内を素直にまた豊かな感情表現で綴っていたあの時間。
時折、そんな特別な時間が懐かしくなりつけペンとインクで手紙やはがきを書いてみるようにしています。
この「お気にいり」を使いながら思い出す物語の主人公がいつのまにか、あのジュディではなく若い頃の私自身であることが最近ではなんともいえないノスタルジックな気分に浸らせてくれるひとときです。
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