素直な子供時代とは違って、成長するにしたがってだんだんにずる賢くなり知らないことを知ったかぶるシーンも増えてきたりします。知らないことが恥ずかしい、「そんなことも知らないなんて」とバカにされるのが嫌だ。こんな気持ちが働くのかもしれません。
昨日、帰宅するとBSで放映中の「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」を寅さんファンの母が今週も欠かさず観ているところに出くわしました。
作品中、寅さんこと寅次郎が都内の私大キャンパスで大講義室内に紛れ込むシーンがあります。教壇で産業革命について語る担当教授に「はなっからちっともわかんねーや」と言い放つ寅次郎。私は感心していしまいました。
わからないことを堂々とわからないと言える人。
私は、高下駄を履いて自分を大きく見せるためにわかったふりをしたり、経験値がないのに評論家めいて知ったようなことを言うような人より、知らないことは知らない、わからないことはわからないと言える素直な人が好きです。
また私自身、人まねするよりも、自分が身をもってした経験から生まれたことを実感を伴い語れる、あるいは経験を通したからこそにじみ出る言葉を放てる人間でありたいと思います。
たとえそれがちっぽけで、みすぼらしいものであっても、その実感を伴う真実から生まれた小さな芽を大切に育てていけばいい。そう思っているので、日々の暮らしの中でも懲りないほどに経験値を積むための失敗を苦にしません。格好悪いことなど、日常的です。いろいろやらかしても、それでも胸張って生きています。これが良いことかどうかはわかりませんが、そうありたいと常々思っています。
寅さんは映画の中で、その独特の存在感で教授まで巻き込み講義を中断させ笑いの渦と化した大講義室内を独擅場としています。
知らないことを知らないと言う、しかもあれだけ大勢の学生に囲まれ、そこにいる誰もが知っているであろうことを堂々と自分は知らないと言えること。笑われても笑われても、ちっとも動じずにわからないから教えてくれと言える度胸。ものすごく勇気のいることですし、いくらでもそのまま静かに場をしのぐか、知ったかぶりをして逃げてしまうこともできるでしょう。
けれども寅さんはあえて「そりゃ、なんだい?」と聞き返します。すごいなと思います。
知らないことがあるということはそこからまた新しい世界を見つけ成長していくことができるのですから、そこがスタートになればよいのではないかなと思います。知らないと言えればそこから人の教えや導きを乞うこともできますし、自分で調べてみる新しい課題を持てることにもなります。
今はわからない、知らない、あるいは、今はできない。でもそれを自覚したこれからはきっとわかる、きっと出来るようになる。すばらしいことではないですか!
寅さんの発した「そりゃ、なんだい?」。大人になるとなかなか言い出しにくいことかもしれませんが、それを自分で認めるところから新しい探求や視野が広がる学びがスタートするのならば、やはり「ちっともわかんねえや」が大事です。
いいじゃないですか。そこからすべてが始まります。知らないことやできないことがたくさんあるということは、一生その探求に恵まれるということなのですからそれらに出会えた喜びを胸に、新たな世界にまた一歩を踏み出せばいいんじゃないかなと思います。
わからないことを堂々とわからないと言える寅さん、やっぱりステキっっ!
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ここに書いていいのかしら?私、わかりません、存じませんと言ってしまうほう。「聞くはいっときの恥、聞かぬは一生の恥」と、子供の頃母によく言われたからだと思う。あと「立つより返事」で、病院でもどこでも名前(番号でも)呼ばれると大きな声で、はい!と返事する、大人の良い子です(笑)
わあ、ステキですね!誰もが肩を張らずにあるがままでいられる世の中だといいですよね。