いつも歩いて会社から帰宅する途中、大きな交差点の角に一坪ショップのお花屋さんがありました。
家の玄関をはじめ部屋のどこかしらに必ず季節の花々が生けられている家で育ったせいか30歳を過ぎ、狭いマンションで一人暮らしを始めても花や緑がない生活にはどことなく違和感がありました。実家と変わらずに花を生けたり飾っては、終えるとまた新しい花を買ってきて飾る。そんな習慣が日常になっていた時分、その小さな花屋の若い青年と知り合いました。
最初は人見知りなのかと思いきや、店に顔をだすたびに人懐っこさを表し通りすがりの花を買っていくだけの私に身の上話をふくめ、いろいろな話をしてくれるようになりました。だんだんに彼の心の奥の繊細で本人も踏みこむことをあえてしないできた部分に自ら触れだします。私はとにかく子どもがそのまま大人になったような素のままのところがあるので、彼も気負いやためらいを感じることのないまま気づいたら本人も一生触れずにいようとしていた心のエリアに入り込んで開け放ってしまったような感じだったのかもしれません。
まだ20歳にもならない若い青年は、父親との関係がうまくいかずに高校も途中でやめてしまっていました。それを機に家を追い出されたのだそうです。勉強がもともと苦手なところに頭ごなしにやることなすことをダメだ、ダメだと言われて育ったために自分はダメなのだと思い込んでしまっていました。でも、話をすれば大好きだと目を細めて愛でる花のことはとてもわかりやすく説明してくれますし、好きなことにきちんと向き合えるのであればどんなことだって人はがんばれるものです。ただ、やると決めるか決めないかだけの違いですから。どちらを選んでも正解などありません。選んだことにきちんと自分で責任を持てればよいのです。
花を買いに行っては雑談をすることを繰り返すある日、青年は言いました。「なにもかもいやんなって高校やめちゃったけれど、また勉強したくなった」と打ち明けてくれました。また、「父さんにダメ、ダメ言われるたびに反対の方向行きたくなっちゃってたけど、ほんとうは父さんの部屋の本棚に並ぶ法律の本がかっこいいなぁって。あれをすらすら読めるようになったらいいなぁって思ってたんだよね。でも、オレ頭悪いからさ、無理だなって・・」と語りはじめました。
私は「やってみたかったら、どんなことでもやってみたらいいじゃない。高校に戻ってちゃんと勉強したくなった今の○○くんの気持ちを大事にしてあげたら?」と答えました。そして私はよく覚えていないのですが「○○くんなら、きっとできるよ」と言ったのだそうです。
それからしばらく、青年がいる一坪の花屋に寄れない忙しい日々が続きました。ある日、部署の送別会で用いる花束を遠くのお気に入りの花屋まであつらえに出掛ける時間がなかったため、久しぶりに近所のあの一坪ショップでお願いすることになりました。数か月ぶりに訪ねた店先にはお馴染みの青年の顔が変わらずにあります。花束の製作をお願いした数日後の送別会当日に受け取りに出向いた店には驚くほど高価な花ばかり使った、予算をはるかに超える華麗で大きな花束がこしらえてありました。恥ずかしそうに笑う青年に「これ、どうしたの?」と訊ねると「まさこさんのために何かしたくてさ。すっごくすっごくうれしかったんだ、いろいろ話せて。だからなんかお礼したかったんだよね」と照れながら言います。
なにより気持ちがうれしかったので丁寧に何度も何度もお礼を言いありがたく花束を受け取り、その抱えきれないほど立派な花束を持って会場へ出かけました。
その後も忙しい日々が続き、なかなか会社帰りには花屋に寄れない日が続きました。
半年くらい経ったころでしょうか。久しぶりに帰宅途中で花を買いに寄ると見慣れない若い女性の店員がいます。今日はいないのかしらと特段気にもせずいました。何度か店に足を運んでもあの青年に会うことはありませんでした。1年近くが過ぎ若い女性の店員とも仲良くなっていたある日、何気ない会話であの青年の話がでました。どうやら夜間の高校に通い始めたとのことでした。そればかりか、大学に行って法律を勉強したいからあきらめないでがんばると言っていたのだそうです。「きっとできる、夢は叶えられるって言ってくれた人がいた」と喜んでいたとも・・。
私は「そうですか」と、うなずきながら一言だけ答えました。ただただうれしくなり胸がじんと熱くなる思いがしました。
私たちの人生は人との出会いによって成り立っています。そして、出会い触れ合った人たちから、知らないうちにたくさんのエールを送られ生きています。本人すら覚えていないようなさりげない言葉が、そのときその言葉を心の底から求めていた人の胸にはストンと染み入るように落ち、生きる活力となり人生さえ変えてしまうことも多々あります。相手を思って真心からでた言葉は、たとえそのときすぐにではなくとも、また時に厳しさを含むものであっても、相手の心にふっと宿りさらなる成長のための新しいエネルギーを生み出すのかもしれません。
さりげなく放ったあなたの言葉に救われる人がどこかにいて、だれかが何気に放つ言葉があなたを救う。他の誰でもなく "あなたの言葉" だったからこそ、他の誰でもなく "あの人の言葉” だったからこそ胸に響く・・。真心から生まれる「ことばのちから」は、ほんとうに不思議ですね。
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