そう遠くないむかし、この地球のある街にひとりの男の子がいました。
その男の子のからだには生まれたときから少しだけ周りの人とはちがうところがあります。けれども、ふだんは人からは見えにくいので彼はそれをいしきすることすらなく、たくさんの愛をうけスクスクげんきに育ちました。
少し大きくなって学校に通うようになったある夏の日、男の子がプールにいったときのことです。いつもはいっしょにプールに入らない年上の大きなお兄さんたちのうちの一人が男の子の少しだけ人と違うところを指さしおかしな声をあげました。その声におどろいて周りのなかまたちもジロリと男の子を見やります。彼はなんだかとつぜん見せ物にされたような気分になってはずかしくなり泣きだしたい気持ちでいっぱいでした。
家に走って帰ってお母さんに泣きつけたらどんなになぐさめられることでしょう。でも、男の子はそれをしません。いえ、できないのです。彼はプールでのできごとをお母さんに話せばどれだけお母さんが悲しむかをよく知っていたからです。
きっと、人から指をさされほかの皆とは違うところをからかわれたのはこのときだけではなかったのでしょう。いっしょうけんめいにくちびるをかんでガマンしました。
そんな彼でも泣くときがあります。それは、家のひとがだれも起きていない夜中のベッドの上でした。ぽたぽた、ぽたぽた目からあふれる涙は男の子の柔らかなほほをつたいます。「どうしてぼくはみんなとちがうんだろう」。
人知れず夜になると声をころして涙をながした男の子はいつのまにか大きくなり背たけもずいぶんとのびました。べんきょうもよくでき、スポーツもじょうずで、外見もハンサムな青年がだれにもわからない苦しみをひとりで抱えているなんて周りのひとには決してわかりません。青年は明るくふるまいますが、心の奥の苦しみや悲しみは消えることはありませんでした。
思春期になった彼はこれまで以上に人と違うところを気にするようになりました。ベッドの上でただ泣くだけでなく、そのわきにはページをめくるある部分だけがまっくろになった医学書がおかれています。自分の病気について知りたい気持ちでいっぱいでした。お父さん、お母さんといっしょにいくつもの病院を訪ねどうしたら治すことができるかどうか相談しましたが、これまでに例のない病気はからだの中でどうなっているのか見当すらつかず、見た目だけを気にして手術をするにはいのちのリスクが高すぎます。現代の医学ではどうにもできないことでした。
それからずいぶんと月日がたちました。夜になるとベッドで泣いていたあの男の子はお医者さんになっていました。とてもきびしいけれども、誰よりも向き合う相手の心の痛みがわかるお医者さんです。これまで抱えていた苦しみや悲しみは大切なひとや目の前にあるたくさんのいのちを守るための静かな強さに変わりました。そのとなりにはあれだけ見た目を気にして苦しんだ彼のからだの一部を「これの、いったいどこが障害なのですか」と笑いながら応える心の大きなうつくしい奥さんがいます。
この地球に生まれた私たちの人生には、人知れず苦しかったり悲しかったり…さまざまなことが起ります。他者には説明できない、共有できない、その本人にしかわからない耐えがたい痛みもたくさんあることでしょう。それでも、人生は平等だとわたしは思います。目に見えるすぐ目の前のことだけでなく、長い一生を通して見たときに、心やからだを震わせて経験したからこその貴重な生きた学びはかならず他者のために、またはこの地球のために必要とされ使うときがやってくるからです。
私たちの人生は選択の連続です。どうかどんなときもあなたがすべての選択の主であること忘れずにいらしてください。
与えられたいのちを活かし、いろいろな想いを抱えながらもまいにちをがんばるあなたを応援しています。
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今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
皆さまが柔らかな心で一日過ごせますように。
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