どのくらい前になるでしょうか。あれは20代半ば過ぎの12月のことだったと思います。
職場の先輩に誘われてフランスから帰国したばかりだという若い女性フラワーデザイナーさんが開くクリスマス向けアレンジメントのプライベートレッスンに参加することになりました。花はとても好きですし、街がクリスマスモードに染まる季節にはもってこいの企画です。
当時の私の職場は海外を相手にするため常に24時間体制で勤務がまわっていました。月に何度か泊り勤務があり、楽しみにしていたアレンジメントはよりによって泊り明け。会社から直接クラスに向かうことになってしまいました。
当日、お宅を訪ね「はーい」と通る声で私たちを迎えたのは白いツィード生地のワンピースに同素材のジャケットを合わせた品のよい若い女性でした。先生と呼ばれるその女性は、ゴージャスな巻き髪が光沢のある上等なツィードに映え、なんともいえない可憐な美しさを漂わせています。パリでの修行話もどこか苦労話というよりはとても華やかな世界に感じたものです。なんだか眩しいほどに身づくろいを整えた彼女を前に、泊り勤務明けの化粧を落としたラフな姿の私はどことなく見劣りがして居心地の悪さすら感じました。
白やクリーム色のバラの花とグリーン系の葉っぱ、枝物を主に用いたキャンドルリースは、パリの街角の花屋を思い出させ聖なるクリスマスらしい清楚でとても素敵なデザインでした。丁寧な説明に従い製作していた、ふとした瞬間のことです。たまたま教えていただく先生の指が私の指と触れ合い目に留まった傷だらけの指先。これまで印象づいていた彼女が放つ雰囲気やお話の優雅さとは裏腹、白魚のようにすらっと伸びた細い指のあちこちに残る無数の傷あとはなんだか不釣り合いにも感じました。
次の瞬間、相手の見た目だけをとらえ本質を見つめていなかった自分に気づき少し恥ずかしくなりました。
どんなことでも本気で掲げた目標を達成するのに楽な道はありません。どれだけ優雅に見えても白鳥が湖面下では必死に足を動かしているように、どのように外見を振る舞おうが何事もある程度のレベルになるまではただただ目の前にあるやるべきことを真摯に積み重ねるしかないのです。その指先を一目みただけで人知れず彼女がどれだけの鍛錬をここまで重ねてらしたのか、言葉はなくともよくわかりました。
私たちはときに、相手のまとう装いやさまざまな修飾物から勝手に「こういう人だ」と判断してしまうことがあります。ですが、ふとした瞬間にその人の本質に触れるような、ささやかな “真実” を感じ取れることがあるのも事実です。
表情、装い、言葉遣い、声のトーンや調子、あるいはその人を彩る経歴やルーツなどさまざまな修飾物では決して映しきれない相手の本質。それは一目では気づかぬような細部にこそ宿り、その人の日常における生き方や思考を大いに語るものなのだということを私は改めて思い知らされました。
そこに良い悪いのジャッジは存在しません。
真実はどんなものであれ尊く、美しく、そして素晴らしいからです。
私たちを玄関で迎えた女性の、あのふわっと匂いたつようなエレガントさは紛れもなく何事にも真剣に向き合い目標のために苦しくてもあきらめずに地道な努力をひたすら重ねることができる彼女だからこそ刻めた軌跡から放たれたものでした。念入りに巻いた髪でも、見栄えの良い衣装やお化粧でも、洗練された立ち振る舞いから発されたものでも決してありません。
すべての人にある、その人にしか放てない美しさ。覆われた修飾物ではなく、それぞれが備えもつ真の美しさを感じとれる人間でありたいと思います。
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